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2007 - 11 /24

黒羽陶工房のなにか



小樽は観光の町だけあって、土産物屋はそこかしこにあります。
なかでも堺町の界隈は、約800mにわたってありとあらゆる種類のお店が軒を連ねる、小樽きっての大土産物屋街です。


通りに向けてギラついた視線が容赦なく投げかけられるこの界隈は、地元の人間はなかなか歩きづらい場所なのですが、中にはまともな店も少しはあるので、一年に一回くらいは出掛けることもあります。


その数少ないまともなお店、それは「ふうど館」です。
ここはホクレン(北海道における経済農業協同組合連合会)が運営する、おもに道内の陶芸作家の作品の展示や販売している場所です。


じつはここ「ふうど館」はホクレン発祥の地ということで、ホクレンの創業記念館という意味も込められているのですが、たぶん地元の人もふうど館のことはあまり詳しくは知らないと思います。


さて昨日見つけたのは、キーホルダーです。
キーホルダーじゃない可能性もかなり高いけど。。

ふうど館で買った陶器のキーホルダ?(たぶん)
 
 
 
札幌にある、黒羽陶工房さんトコの作品です(Blog)。
べつにここの工房の作品のすごいファンってわけではないし、うさぎの絵柄が好きというわけでもなく、たまたま目に止まったのが黒羽陶工房のものだったというだけです。


微妙な背中の曲がり具合や膝の角度、うさぎのユルい視線なんかも素敵なのですが、ぼくがいちばん惹かれたのはそこではなく、例えば左の方なら、遠くの山とうさぎとの間に沈む冷たく青い空気、右の方なら、キャンバスとうさぎがいる部屋に満たされた明るい光を感じさせる上部の余白、それがかなりココロ震わせるツボでした。


作者の方がそこまで考えて創られたかどうかは分からないけど、直径5cmに満たないような小さな陶器の絵柄から、手に取った人にこれだけのことを思い描かせるというのはただ者ではないと思うし、ぼくは陶器の絵柄を見てそこに描かれていない何かに思いを馳せるようなことは、ほとんどありません。


いいものを買ったなぁ、という気持ち半分。
いいものを創れるっていいなぁ、という羨望の気持ち半分。
暖かく、充実した休日でした。

投稿者 hamayo : 18:52 | コメント (6) | トラックバック

2007 - 11 /19

Brunton Flex Foldable Canister Stove



昨夜届きました。
あ、日付が変わっちゃったから、おとといの夜か。
届くの早すぎ。


海を越えてやってきた小包
 
 
 
テキサスを現地時間の13日に出発し、日付変更線を超えて日本時間の17日に届くんですから、実質4日間で到着です。
国内の楽天なんかで週末を挟んだときの発注と変わらないですね。
だいぶ地球も小さくなりました。


さて、やってきたのはコレです。

Brunton Flex Foldable Canister Stove
 
 
 
ガスのキャニスタストーブです。

こいつの兄弟で、"Crux"というストーブは最近まで日本でも売られていたのですが、Optimusの輸入元のスター商事のサイトからはすでに消えています。
そしてこの"Flex"については、日本ではまったくお目見えすることはありませんでした。


メーカーとしては老舗中の老舗オプティマスも、キャニスタストーブの分野では新人さんですからね。
EPIPRIMUS、そしてスノーピークという三国志状態の中では、思うように勢力を伸ばせなかったのでしょう。


では早速取り出してみましょう。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓





このストーブの最大の特徴が、この折りたたみ機能です。
畳んだ状態


正式名称の "Brunton Flex Foldable Canister Stove" に偽りはありません。


昨今の軽量級キャニスタストーブのトレンドは、バーナーヘッドの小型化の方向で進んできました。
その目的は軽量化だけでなく、小さく収納するためでもありました。
ストーブはどうしてもキノコのような形状になるので、いくら軽く作っても小さく収納することが難しかったんですね。
EPIのRevo-3500Revo-3700などは、ポットサポートの収納に工夫を凝らして、とても小さく収納することに成功しています。


でもヘッドの小型化は弊害も多いんですね。
炎が一箇所に集中するせいで、チタンのような熱伝導率の小さな素材を使ったコッヘルなどは焦げ付きを起こしやすかったり、真上に吹き上げる形状の炎は、底面積の大きな鍋の場合、温度の低い炎が周辺に広がるため効率が悪くなります。


そこで考え出されたのが、真ん中でポッキリ折ってしまえばイイんでない?式のこのストーブです。
こうすることで、軽量クラスのキャニスタストーブの中ではかなり大きなヘッドを乗せても、収納には困りません。

このクラスとしてはかなり大きなヘッド


この金属光沢!。
そしてメカメカしい形状。
1時間くらいなら平気で眺めていられます。男の子ですから。


もちろん火力は申し分ありません。

点火してみました

弱火領域での火力調節が絶妙でした。
マクロレンズのピントリングのように、消火~弱火のあいだに持ち替えが必要なほどの回転角が与えられています。


最後にもうひとつ、他にはない特徴があります。
さきほど書いたように、ポッキリ折れることで小さく、かつ薄くなるので、付属のケースを使ってこのように収納するのです。

ストーブの収納


多くのガス缶は通常、内圧上昇時に爆発を防ぐために、底がドーム状に加工されています。
いざとなれば底が膨んで内圧を下げる仕組みです。
このストーブはちょうどその部分に納めることができるのです。
スッポリというわけではなく、ちょっと出っ張りますが。


てなわけで、20年ぶりに買い替えたキャニスタストーブは、プレシアダピスからアウストラロピテクスくらいまで、一気に飛び越えたかのような進化を果たしていました。
プレシアダピスの方は、EPIのPSS型でしたからね。


そうそう、実はぼくも 66.6%は信じてなかった "Made in Japan" ですが、ホントに日本製でした。
DSC_1110.jpg


ってことでお礼のメールに、


Hi Dan.
Thank you for your prompt delivery.

I received the stove and more last night.
I'm surprised to know that it is made in Japan.
"Welcome home!" I said.
     :
     :

って書いたんだけど、返事が来ない・・・。
阿呆と思われたか?。
おーーい、ダニエ~ル。

投稿者 hamayo : 00:12 | コメント (2) | トラックバック

2007 - 11 /16

税関を通過



油断してました。
例のブツなんですが、14日にシカゴのオヘア空港からFLTしたと思ったら、もう日本に着いてるんですが・・・。


Label/Receipt Number: ECxxxxxxxxxUS
Detailed Results:

Out of Foreign Customs,
November 16, 2007, 9:44 am, JAPAN

Into Foreign Customs,
November 16, 2007, 12:02 am, JAPAN

Arrived Abroad,
November 16, 2007, 12:01 am, JAPAN

International Dispatch, November 14, 2007, 9:44 am, O'HARE APT/CHICAGO
Processed, November 13, 2007, 8:15 pm, SAN ANTONIO, TX 78246
Shipment Accepted; November 13, 2007, 2:01 pm, SAN ANTONIO, TX 78238
Electronic Shipping Info Received, November 13, 2007
 
 
 
税関はほぼ素通りなところを見ると、今回は関税がかからないかも、と淡い期待。
なんにしろ税関が週末の休みに入るまえに上陸してくれてよかったわい。

投稿者 hamayo : 21:19 | コメント (0) | トラックバック

2007 - 11 /15

粉砂糖をまぶしたように


ついに雪の季節がやってきました。
まだカラマツが金色の葉を落とさないうちに、雪はあたりの何もかもに降り積もりました。


ウチのまわりはすっかり冬景色です。
DSC_1024.jpg
 
 
 
山の上の方はどれくらい積もっただろうか。
DSC_1060.jpg
 
 
 
今シーズン一発目の寒気なのでまだヌルいけど、しばらくは寒い日々が続きそうです。
GFSによると、17日と20日は寒気の隙間に入って少し気温は持ち直すものの、波状攻撃的に小粒の寒気がうろうろするような感じみたいです。

そうそう。
海の向こうからやって来るアレは・・・
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 
・・・今こんな感じ。
 
 
 
Label/Receipt Number: ECxxxxxxxxxUS
Detailed Results:


Processed, November 13, 2007, 8:15 pm, SAN ANTONIO, TX 78246

Shipment Accepted; November 13, 2007, 2:01 pm, SAN ANTONIO, TX 78238

Electronic Shipping Info Received, November 13, 2007


マイナス15時間の時差と、更新されるタイミングとの関係で、微妙にズレがあるみたい。
とりあえず着実にこちらに近付いているようです。

投稿者 hamayo : 22:10 | コメント (0) | トラックバック

2007 - 11 /14

スウェーデンで育ち、アメリカに住んでて、日本で生まれたもの



じつは今、あるものを輸入中です。


チマタでは「絶滅危惧種」に指定されるんじゃないかとも囁かれ、かろうじて日本にもやって来ていた同族の一種はすでに取扱が中止されたようです。
といってもそれは生物ではありません。
それは「ある道具」です。


それは北欧スウェーデンにある 100年以上の歴史を持つメーカーの製品で、実際には Made in Japan でありながら日本では販売されておらず、自社よりも 5年ほど歴史の古いアメリカのとあるメーカーの名前でしか販売されていないという、ちょっとばかしひねくれた生い立ちをもつものです。


これだけの情報でそれが何かを判別できたら、かなりのアウトドアギアエンスージャストだと思います。
だけどその昔、Outdoor誌 や Be-Pal誌 なんかを読みまくってたような人なら、メーカーの名前やどういう類の製品かってことは分かるかもしれませんね。


届けられるのは来週になりそうですが、しばらくは USPSのTrackingページを見ながらワクワクする日々が続きそうです。

投稿者 hamayo : 23:57 | コメント (2) | トラックバック

2007 - 11 /12

「風雪のビヴァーク」 松濤明

 
今月と来月はウィークデイにいっぱい休みをいただいてまして、人のいない静かな野山を歩けるぞと思っていたものの、もう11月も半ばとなると寒いし天気は不安定だしで、どうも気が乗りません。


なわけでそんな日は、山に思いを馳せるべく山の本を耽読するのも一興です。
山岳小説の古典、「風雪のビヴァーク」(著者:松濤明)を読んでみました。
山をやる人の中から、これを読んでない人を探す方が難しいくらい有名な随筆です。


初めて読んだのは中学校のときで、そのときはあまりピンとくることはありませんでした。
大学生になってまた読んでみたけど、やっぱりそれほどピンと来なかった。
そして、初めて読んだときから 20年以上経った今回、オトナになったぼくは今度こそピンと来るのだろうか。
山と渓谷社からよそいも新たに「新編」として出版されたものを読んでみました。


DSC_0707.jpg
 
 
 
「随筆」と書いたけど、もう少し細かくいうなら日記や紀行文に近いといえるでしょう。
今の言葉でいえば、これはまさしく Blogのスタイルと同じですね。


 ○月×日 雨
 J君と hogehoge山に登った
 
みたいな文が延々と続きます。


ただしその中身は、そこいらの山ヤが束になってかかっても敵わないような、とてつもなくハイレベルの登山日誌なのです。
14才の年には年間20回の山行、15才の冬に北アルプスや八ヶ岳、そして16才にして社会人山岳会に入ってからは数々の初登や第二登を記録していきます。
第二次世界大戦に動員され一時的に山を離れるも、復員後は活動を再開し、ふたたび登山史に残る輝かしい記録を次々と打ち立てていきます。


「風雪のビヴァーク」はただひたすらに、これらの記録が日付順に書きつづられていきます。
最後に聳え立っている、槍ヶ岳北鎌尾根への死の登攀というクライマックスに向けて、よどみなく、一歩一歩、淡々と進んでいきます。


どれほど素晴らしく煌びやかな初登頂の記録であっても、それは最後に待ち受ける死に接近していく一歩であり、ぼくがその輝かしいページを一枚めくるたびに、かれは死の尾根へと近付いていくのです。
 

 
そして昭和23年12月21日、冬の北鎌尾根へ向けて登攀を開始します。
季節外れの大雨のために激しく消耗させられながらも、明けて昭和24年の元日には北鎌のコルにまで到達します。


悪天候に消耗していたのは身体だけではなく、冬山で飲料水を得るための命綱となるラジウス(コンロ、ストーブ)までもが破壊され、ガソリンを直焚きせざるを得なくなっていたほどです。


ラジウスが破壊されてしまったこの日こそが、彼の生死を分ける最後のターニングポイントになりました。
1月2日の日記には、このように記されています。


 <引用>
  動悸激しく、風雪は昨日にもましてひどいし、
  濡物もそのままなので一日沈殿。
  上るか、下るかの岐路に立つ。

 </引用>
 
 
ラジウスが壊れてしまったうえ、大雨のせいで衣服が濡れている状況では、冬の北鎌尾根の登攀を続けることなどほとんど不可能といえるでしょう。
それをしっかりと認識できていたゆえの「上るか、下るかの岐路に立つ」だったはずです。
ところが何ということか、彼はこの登攀の続行を決意するのです。


 <引用>
  入口閉塞その後二回。
  夜、星空となる。
  ラヂウスも応急修理で何とか燃えだしたので
  明日は登行とする。

 </引用>


もしラジウスが壊れたままだったら、もしこの夜も激しい風雪が続いていたら、彼ら(有元克己との2人パーティです)は翌日に下山を始めたんじゃないだろうか。
そう思えてなりません。


1月3日、不可逆点を超えて、回避不能の死の登攀を開始します。


1月4日には独標を越え北鎌平への途中でビバーク。
「有元ハ足ヲ第二度トウショウニヤラレル」とあります。


1月5日、なおも風雪は続き、身体も服も装備も何もかもが凍り付いて、アイゼンを付けることすら出来なくなり、ついに遭難を決定づける出来事が起きます。


 <引用>
  ・・・アイゼンツケラレズ、ステップカットデ
  ヤリマデユカントセシモ(有)千丈側ニスリップ
  上りナホス力ナキタメ共ニ千丈ヘ下ル・・・

 </引用>
 
(・・・アイゼンを付けられず、雪面をステップカットで足場を作って槍ヶ岳まで行こうとしたが、有元が千丈沢に滑落し、上がってくる力はもうないようなので、自分も共に千丈沢へ下る・・・)


恐らくは、千丈沢へ下降することを決めた時点で、彼らの遭難は決定的なものになっただろうと思うし、彼もまたそれを自覚していただろうと思います。
だけどもそれは、行間から読み取った推察にすぎません。
記された文章のみ注視するならば、彼はまだ死を考えてはいません。


そして 1月6日、最後の日。
のちに文学作品として高く評価されることになる遺書は、この一文から始まります。


 <引用>
  全身硬ッテ力ナシ.
  何トカ湯俣迄ト思フモ有元ヲ捨テルニシノビズ、
  死ヲ決ス
  オカアサン
  アナタノヤサシサニ タダカンシャ.

 </引用>
 
 
「このときの天候で一人で湯俣まで下りるなんて出来るものか」、というような論評もあるようですが、これまでにもっと困難な登攀を幾度となく成功させてきた彼の実力を考えれば、べつだん荒唐無稽なこととは思えないし、単独であるが故に容易になることもあります。


これはむしろ、生き残る力があるにもかかわらず死を選ぶことへのエクスキュース、と捕らえる方が自然だとぼくは思います。
ぼくはそれを、次の一文から確信しました。


 <引用>
  サイゴマデ タタカウモイノチ
  友ノ辺ニ スツルモイノチ
  共ニユク

 </引用>
 
 
書きたいことはもっとたくさんあったはずなのに、書ける場所はほんの数ページの手帳しかないのに、わざわざ二度も同じようなことを記したということ。
よほどこのことを強く伝えたかったのだろう、とぼくは考えます。
 
 
そして手記は終わりにさしかかります。
そこには不思議な一文が記されます。


 <引用>
  我々ガ死ンデ
  死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海ニ入リ、
  魚ヲ肥ヤシ、又人ノ身体ヲ作ル、
  個人ハカリノ姿 グルグルマワル

 </引用>
 
 
これはいわずもがな、輪廻です。
この一連の北鎌尾根での手記だけを読むならば、不思議な印象は持たなかったでしょう。
けれど「風雪のビヴァーク」を最初から読み進めてくれば、松濤明の書く文章からだいたいの人となりが読めてきます。


ぼくは彼を、完全無欠の現実主義者だと思っていました。
たぶんその見方は間違っていないと思います。
そのように見ていた人間が、よもやこのような輪廻について書こうとは、まったく想像だにしませんでした。


死を前にして突如このような思念が浮かんできたのでしょうか。
あるいは元々この現実主義者の心の水面下には、実は仏教の思想がひそんでいたのでしょうか。
いずれにしてもこの一文は、声を出してしまうほど華麗な裏切りでした。


手記の最後は、この一文で締めくくられています。


 <引用>
  西糸ヤニ米代借リ、三升分、
 </引用>
 
 
西糸屋というのは、今も上高地にある山荘のことです。
彼はこの山行の準備として、12月12日に荷揚げを行っているのですが、その時の手記に「西糸屋にて干飯、餅各三升依頼。」とあります。


遺書の最後にそのことを書くなんて、よほど気がかりだったのでしょう。
後に残された人たちに、極力迷惑をかけないようにという配慮がうかがわれます。


でもここでぼくは、気付いてしまったのです。
三升分の次の文字は 「、」
読点なのです。
読点で終わる文章なんてあるはずがありません。


彼はまだ、書き終えるつもりはなかったんじゃないか?。
言葉は浮かんでいたのに、それを文字にすることができなかったんじゃないか?。


ついに指が動かなくなったのか、意識が混濁してきたのか、あるいはこの瞬間に絶命したのか、それは分かりませんが、この最後の読点にぼくの胸は強く締めつけられました。
 
 
 
死を覚悟した人間が、極限状態のさなかに何を考えどのような行動をするかなんて、ぼくにはまるで想像できないけど、この手記にある松濤明は、慌てたり取り乱したりすることもなく、きわめて冷静に必要な言葉を必要な分量で書き遺しています。


「生」のただ中にいるぼくよりも、「生」から最も離れた場所にいる彼のほうが美しく見える。
たとえ死の装飾がなくても、その美が陰ることはないでしょう。


自分が同じような状況に陥ったとき、こんなにも冷静で美しくいることができるだろうか。
最期の瞬間まで人間としての矜恃を持ち続けていることができるだろうか。


おそらくそれは、「その瞬間になってみないと分からない」などということは、ないのだと思います。
平凡な日常を無駄にせず、その時が来るまでの、死から遠く離れた日常をいかに生きるか、その積み重ねなんだろうと思います。


DSC_0703.jpg
 
 
 
メメントモリ。
それが読後に浮かんだ、ただ一つの言葉でした。

投稿者 hamayo : 23:14 | コメント (6) | トラックバック

2007 - 11 /10

霜降りる

 
事務所に出掛けようとおもてに出てみたら、霜が降りていました。
DSC_1023.jpg


車のフロントガラスです。
里に雪が降るのも、まもなくだなぁ

投稿者 hamayo : 07:45 | コメント (2) | トラックバック