2008 - 3 /29
旭岳で野良テレ終幕 #1:雪洞キャンプ
いつになく早い春の訪れにいちばん驚いていたのは、ヒヨドリでもヒメネズミでもエゾアカガエルでもなく、ぼくたち人間でした。
地上にも低層にも高層にも、このさき寒の戻りを示唆するような要素はまったく見当たらず、名残雪も降る時を忘れてしまったようです。
でもこれだけはあきらめるわけにはいかない。
雪洞キャンプは雪山遊びの集大成なのです。
雪洞を掘らずして春はやって来ないのです。
テレマークは滑るためだけにあらず。
冬の終わりを確信しようともそこに雪がある限り、ぼくらはスキーを履いて重い荷を背負い、森の奥へと歩いていけるのです。
これを今シーズン最後の野良テレと決めたぼくたちは雪をもとめて、北海道の屋根「旭岳」を目指すことにしました。

雪がなければ土を掘るのです
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
そもそもの計画は、北嶺山に行ったときから始まっていました。
しかしその後、近年まれに見る寡雪と3月に入ってからずっと続く高温により候補地は二転三転。
1週間前になってようやく、旭岳山麓の勇駒別(ゆこまんべつ)に決定したのです。
かつては道央自動車道の北のターミナルだった旭川鷹栖I.C.を下り、東川町の「スーパーチェーンふじ」で買い出しをしたぼくたちは、旭岳めざして東南東に車を走らせます。
秋まき小麦の萌芽が春を告げる穀倉地帯では、白一色の大地から土と緑の大地への場面展開が今まさに進行しており、自然と人間の営みに強いパワーを感じます。
やがて雪解けの水田の向こうに、雄渾なる大雪山が見えてきました。

忠別ダムをすぎてもなお積雪は頼りないものでしたが、天人峡温泉との分岐を越えた辺りからみるみる深くなり始め、勇駒別に着くころには誰ひとり雪の心配をする者はいなくなっていました。
雪洞を掘るのに適した沢地形を探し出すべく、夏期の大雪山登山のベースとなる旭岳青少年野営場に分け入ります。

レイルブレーカーとなってクロカンサーキットを進んでいくと、

目の前にコクーンが。

実はこれキャンプ場の炊事棟なのです。
ここに入って寝ればいいんじゃない? という案もでるくらい魅力的な物体でしたが、それじゃつまらんのでさらに森の奥へと進みます。
勇駒別川とは別に、山向こうの天人峡へと流れていく川の手前で、ちょうどいい塩梅の沢を見つけました。

ついにミックが八頭身に・・・。
場所さえ決まれば後はただがむしゃらに掘るだけです。
だけども今日は、ぼくとJ君は昼寝をしてればすべてが終わってるという、大臣待遇なのです。
というのも今回は、両腕がユンボで頭がブルドーザ、ロータリ除雪車の足を持つといわれる、現代のキメラのような男(ミスター kacchin)がいるので、ぼくとJ君はなにもすることがないのです。
すげぇーや、手で掘ってるよ。

なにもしてないと寒くなるので、kacchinはんが掘り出した雪塊を遠くに排出するのを手伝うために、少し体を動かします。
鬼に金棒、kacchinはんにショベル。

己の肉体を重機のように使ってきたkacchinさんはショベルを手にすると、うっとりした目でそれを眺めていました。
昨年のような氷の層が現れたりもせず、適度に柔らかい雪のため穴の内部はどんどん広がっていき、1時間後には早くも勝利宣言まで出るほど順調に掘り進めていました。
がしかし、人ひとりが入れるかなという大きさまで掘ったその直後、恐れていた事態が発生しました。
笹が出てきたのです。
しかもそのほんの数分後には、ついに地面までが顔を出したのです。
これでは到底3人分の容積を掘ることは叶いそうもありません。
かくなるうえは一人一穴に作戦変更。
ぼくとkacchinはんはすぐさま行動を開始しました。
今まで掘ってたすぐ横に、新しい穴を掘るのです。

よく見るとkacchinはんは、かなり危うい場所で作業しています。

一人きりでの雪洞作りは、作業効率が著しく悪いです。
二人以上いればバケツリレー方式が使えますが、一人だと「掘る」「出す」「捨てる」を全てこなさないといけないのです。
それでも今回は雪質に助けられました。
掘ること約2時間で、今夜のねぐら完成です。

Width:220cm、Depth:130cm、Height:100cm
3ヶ所の棚と2ヶ所の荷物スペースに、燭台とカマド、掘り下げ式玄関を備えた、2人でもじゅうぶん寝られる雪洞です。
kacchinはんの雪洞から見た、ぼくとJ君の雪洞。
それぞれの間隔は内部では 1mくらいしか離れていないでしょう。

J君とこは、最初にみんなで掘った穴を利用して左方向へと広げていったL字型雪洞です。
kacchinはんとこは、入口から上へ向かって掘り進めた結果、とてつもなく狭い雪洞になってしまい、まるで「急行きたぐに」の電車三段式寝台を彷彿とさせる出来栄えです。
まだ陽の高いうちに雪洞を完成させたぼくたちは、来るときに見つけたコクーンの中で夕食を食べることにしました。

メニューは今日もジンギスカン。

いつもと違うことがあるとすればそれは、肉しかないということです。
Mr.オクレは昔、ご飯をおかずにご飯を食べていたそうですが、ぼくたちはこの日、肉をご飯に肉を食べたのです。
葡萄の果実そのものよりもフルーティな小樽ワインが、肉また肉の波状攻撃に安らぎをもたらしてくれます。

雪洞での一夜を乗り切るのに十分な熱量を摂取したぼくたちは、さらに直接的に熱を得るために、旭岳温泉白樺荘に出掛けることにしました。
森の奥の雪洞を出て、アルペングリューエンに輝く旭岳を見ながら温泉宿へ歩いて出掛け、そしてまた雪洞へと帰っていくのです。
かつて十勝川をイカダで下ったとき、帯広市で映画館に入ったことがあります。
川から上がり、河川敷の土手を越えると、そこには17万都市が広がっていました。
イカダの上にときどき現れる蚊柱と同じくらいの密度で、通りを人が歩いていました。
そのとき感じた奇妙な感覚を、再びこの日ぼくは感じました。
夢の中で駈け足で走ろうとしてもどうもうまく足が回らない、というのに似た浮遊感です。
地続きの同じ平面上から移動するだけなのに、「こちら」と「そちら」との間には目に見えない霧のようなものが横たわっていて、その空間を通りぬけなければそれぞれの間を行き来することはできない。
そんな不思議な感覚がこの夜、雪洞と温泉旅館を往復するぼくをとらえたのです。
さて、露天風呂でたっぷりと湯浴みしたぼくたちは、再び雪の世界へと帰りました。
雪の斜面に穿たれた暗い穴に、ろうそくの明かりがともります。

天頂では、ぎょしゃ座のα星カペラが鋭い光を放っています。

そのむかし太陽の数千倍の直径があると想像されていたアル・マーズも、そのすぐ脇で輝いています。
ろうそくを灯したままシュラフにもぐり込み、うとうととしていました。
やがて火が消えると、雪洞の中に月光が差し込んできました。
青白い月光を浴びながら、雪洞の夜は更けていきます。
その他の画像
投稿者 hamayo : 23:13 | コメント (3) | トラックバック
2008 - 3 /18
シャクナゲ岳でバク転
3月も半ばをすぎて、雪も天気も安定してくるこの季節、春の野良テレ第一弾として狙っていたのはこの山でした。

ところがここ最近の暖気によって、取り付き点の雪は腐るどころかほぼ消えており、あたりは泥濘のプールと化していました。
露わになった地面からは、フキノトウが顔をのぞかせている有り様です。
たしかに3月に入ってからの当地方の降雪状況は、1日に少し降ったきりであとはほとんどゼロ降雪。
3月2週目の、道内22地点での平年値比較では、気温が 4.3度プラス、降水量19%、日照時間155%と、1ヶ月以上先の気候です。
あまりにも早すぎた春の訪れが、町だけじゃなく山の時計も狂わせてしまったのです。
しかたがない。
標高800mからスタートできるシャクナゲ岳にいこう。
そして去年の雪辱を果たすのだ。
あそこなら少なくとも地面が出ていたり、泥の海が広がっているようなことはないはずです。
こてんぱんにヤラレタ・・・
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
奇しくも昨年J君と行った時と同じ3月中旬。
でもあの時とは何もかもが違いました。
気温は高く、風も無く、雪が降る気配はどこにも見当たりません。
そして足もとの雪は、食べ残した「かき氷」のようにグズグズに緩んでいました。
朝9時の段階でのこの雪質が、午後になればさらに酷いものになることは容易に想像がつきます。
でもここまで来たら、もう行くしかありません。
上部の雪に賭けてみましょう。
リフトの終点には今シーズン初の野良テレで、敷きモノとして、風防として活躍した選挙ポスターが出迎えてくれました。
いやー、マッチ若いなぁ。

シズちゃんはこの頃からすでに死相が出てますな。
リフト駅のすぐそばには大型の山岳テントが設営されていました。

冬期キャンプのベースとしてはなかなか恵まれた場所ですね。
平らだし風は避けられるし、山々は近いしエスケープも容易だし。
昨年同様、チセヌプリとシャクナゲ岳との間にあるコルへ向かって進みます。
前回は西寄りに進みすぎたために雪庇に行く手を遮られたので、今回は意識しながら東よりに歩きます。
チセヌプリの裾野をトラバースするような感覚です。
風はほぼ無風ですが、相変わらずものすごい速さで雲が流れていきます。
めざすシャクナゲ岳は、雲の中に入ったり出たりをくり返しているようです。
シャクナゲ岳が見え隠れ。

気温はプラスなのにもかかわらず着雪が進行しています。

過冷却水滴のパワーを感じる瞬間です。
コルに出るとそこは、かなり広い平原のような地形でした。

昨年来たときはあまりの悪天候と視界のなさで、ただの尾根としか思っていませんでしたが、これだけ広いと視界を奪われたらかなりやっかいなことになりそうです。
右側の丘には登らず、丘とシャクナゲ岳の中間地点に向けてまっすぐ進みます。
やはり今回も尾根に出たところから風が吹き始めました。
そのような場所であっても、足もとの雪質は水っぽいままです。
場所によっては、歩くたびにピチャピチャと妙な音が足もとから聞こえて嫌な気分になります。
ビーナスの丘の大岩を真横に見る高さまでは緩斜面を歩くと、いよいよシャクナゲ岳の急斜面の始まりです。
一本の木も生えていないツンツルテンの急斜面は高度感満点で、自分で自分に催眠をかけて恐怖を封じ込めつつ登っています。
怖いから振り返りたくないんだけど、後ろにはチセヌプリ。

チセヌプリも去年とは違って雪が少なく、ハイマツや岩場が出ています。
一方こちらのシャクナゲ岳、予想はしていましたが、風がまともに当たるこの山は急斜面に差し掛かった途端、ガチガチの雪面に変化したのです。
風に磨かれてフラットなおかげで、これだけ斜度があってもまだまだシールで直登できるのが救いですが、シールが利かなくなったが最後、滑落が待っています。
恐怖に打ち克つことより安全を確保するほうが大事です。
風の当たらない北斜面には少しだけ木も生えているので、慎重に右方向へ廻りこみます。
もし滑落しても、木に引っかかってくれることを期待して。
山頂までの僅かな距離が、なかなか縮まりません。

数日前のツボ足のあとが、石膏でかたどりされた化石みたいに残されていました。
遠くから低い音が聞こえてきました。
山頂で風が唸っているのです。
いきなり飛び出ると真正面から南西風をうけてひっくり返る可能性があるので、最後は前に倒れこむような体勢で頂上に出ました。
そして 11時30分、強風吹き荒れるシャクナゲ岳山頂。
昨年の仇はきっちり取りました。

カメラがこけたのはご愛敬(笑)
頂上に上がったとほぼ同時に、雲が晴れお日様が顔を出し、奇跡的に大展望が広がったのですが、この風の前ではそれを楽しむ余裕なんてありません。
網膜センサに風景を焼きつけて、山頂を後にしました。
でも事はそう簡単には進みません。
「山頂を後にする」ことの難しさに直面するのです。
いうまでもなくこんなガチガチな急斜面をマトモに滑って降りられるわけがなく、木の上から降りられなくなった猫のような気分で斜面の下をのぞきこみます。
結論として、シールをつけたまま横滑りで降りていくことにしました。
ところがこの判断は誤りでした。
シールのせいでエッジの利きが甘くなり、横滑りのまま加速を止めることができなくなったのです。
なんとか雪が柔らかい場所で制動をかけて事なきを得ましたが、いい勉強になりました。
教訓:
硬い雪のときは、怖くてもシールをつけた
まま滑るべからず
せっかくシールをつけたままなので、ビーナスの丘に登って大岩の陰で風を避けて行動食を摂りました。

ここからの下りは、斜度的にはぼくの技量にピッタリなので楽しみにしていたのですが、不規則に出現する「水を含んだ雪」というよりは「雪を含んだ水」みたいな雪質に七転八倒。
荷重をかけたとたん膝までもぐる雪は、「膝パフ」ならぬ「膝ぐしょ」なのです。
雪が腐るという言い回しがありますが、ここの雪はそんな生やさしいものじゃありません。
まるで長期政権の内部みたいに腐敗しきってるのです。
ついにはターンの最中に突然板がリリースされて、ぼくの長いテレマーク歴でも初となる バク転を喫してしまいました。
だれか動画で撮ってくれてれば、永久保存版になっただろうに・・・。
バク転で顔面制動すると、鼻の穴に雪が詰まるんです。
考えてみりゃ当たり前なんだけど、新鮮な驚きでした。
完全に戦意を喪失したぼくは、鼻の奥にツーンとした痛みを抱えつつ山を下りていきました。
昨年ランチを摂った林からは、デブリの向こうに羊蹄山を見ることが出来ました。

あらゆるものが冬をぬぎ捨てていきます。
どうということもない斜面に亀裂が入り、林のふちはあちこちで雪崩れて埋まり、ときおり風に乗って土の匂いが運ばれてきます。
シーズンに幕が下ろされたのです。
階段を2つ飛ばしで駆け上がるみたいに進んでいく季節に、うまく気持ちをあわせていかなくちゃ。
予定していた春の野良テレのいくつかは中止せざるを得ないけど、自然の中で遊ばせてもらう野良テレで自然の流れに逆らうわけにはいきません。
新緑のハイキングが近付いたんだと思えばいいのです。
あと8ヶ月もすれば、また雪の季節がやってくるのですから。
投稿者 hamayo : 21:52 | コメント (6) | トラックバック
2008 - 3 / 6
裏山 細板 野良テレ散歩
3月の声を聞くようになると、春の到来がうそではないことを実感するようになります。
太陽黄径は340度を超え、昼間の時間は日に3分ずつ長くなっていきます。
もう聞き耳を立ててその足音を待つ必要はありません。
目をこらして光の密度を計測する必要もありません。
高い木の梢の上に、ゆるんだ雪の下に、木の幹のぬくもりの中に、春の脈動をはっきりと感じ取ることができます。
今冬さいごの雪下ろしをしたあと、陽光降りそそぐウラヤマに野良テレ散歩にでかけてきました。
細板の魅力
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
あてもなく雪の野山を駆け回るときは、太板もハードビンディングもいりません。
細板でウロコ板のクラシカルなテレマーク板に、3ピンビンディング。
2本合わせても、いつものロシ板1本よりさらに軽いのです。
倉庫の奥から15年ぶりに発掘されました。

かつてはこの細板でゲレンデに行ってたのですよ。
「歩くスキーじゃリフトには乗れないよ」などと、スキー場の人によく言われました。
「歩くスキーじゃなくて、テレマークなんですが・・・」と説明しても、「???」な顔をされたものです。
今日はいつもの尾根コースではなく、谷すじを奥までつめていきます。
いつかは毛無峠までたどりつきたくて、これまで尾根ルートの開拓を進めてきたのですが、雪の着いてない岩塔の出現により前進できなくなってしまったので、今回は谷ルートの偵察かたがたの裏山散歩なのです。
谷に沿って歩いていくと、堰堤の近くで未発見の廃屋を見つけました。

あれだけ高いところにママさんダンプを掛けてあるということは、冬の間にだれか訪れた、あるいは訪れるつもりだったということでしょうか。
想像がふくらみます。
堰堤を越えてさらに進むと、いよいよ谷幅は狭くなります。
光が届かない谷は薄暗く寒々しいです。
谷のはるか遠くに、毛無峠の山並みが。

しかし谷はどんどん狭くなり、左右の尾根からの雪崩の危険もあったので、右岸(山に向かって左側)の尾根に這い上がることにしました。
さすがにウロコ板では直登できないので、斜登行+キックターンでガシガシ登っていきます。
2m超の板でのキックターンはコツがいるけれど、あまりにも板が軽いので苦にはなりません。
尾根に上がると、正面に毛無山(548m三角点)がお出迎え。

ザックを下ろして休んでいると、鳥の声が方々から聞こえてきます。
ひときわ大きな声の持ち主は、見なくても分かるヒヨドリです。

すぐ目の前の梢では、コゲラが小さなドラミング音をたてています。

ツグミは集団でいました。
北へ帰る途中に立ち寄ったのでしょうか。

今年の春は、いつもより少し早いのかもしれません。
さて30分ほど休憩しましたが、あたりは夕方の色温度に染まり始めていました。
出発したのが遅かったので今日はここで終了です。
この先しばらくは、南へ向かって疎林の尾根が続いています。

地形図で見ると、この尾根の先に壁のような斜面が立ちはだかっているようです。
それはまた次回の楽しみにとっておきましょう。
ずいぶんと間延びした極地法的アプローチだけど、何年かかけて毛無峠を目指します。
谷を通らず尾根通しで下りていくと、植林されたエジマツの林に出ました。

いちおう手入れはされているみたいです。
そして帰りはいつもの裏山ゲレンデへ。
2mを越すダブルキャンバーの細板ですべると、いつもどれだけ道具に助けられてるかがよく分かります。
「イ」の字シュテムで強引にターン。
雪崩の破断面のようなシュプールを残して。

膝がしらが雪面をなでる感触を久しぶりに味わいました。
本当の春がやってくるまでには、まだまだ寒気が下りてくる日もあるだろうけど、春を待つ時間は楽しいものです。
命の息吹がみなぎる春の山に思いをめぐらせながら、もうしばらく雪を満喫したいです。
投稿者 hamayo : 07:53 | コメント (4) | トラックバック
2008 - 3 / 1
おひながし
もうすぐひな祭りです。
何とも素朴でかわいらしいおひながしを見つけました。
世界の民族衣装をまとったおひながし。

後ろを見ると、ヘンテコなのもいる。

子供のころの話しだけど、ぼくは男の子なので、端午の節句に鯉のぼりを飾って貰うのがスジなんだと思います。
でもウチにはありませんでした。
小さな庭しかなかったし、鯉のぼりなんて上げようがなかったのでしょう。
それはぼくの家だけでなく、農家の友達をのぞけば、おおかたの友達の家がみなそうでした。
でもだからといってぼくが鯉のぼりを欲しがったことはなく、ぼく自身は鯉のぼりにも鎧兜にも関心はありませんでした。
雛人形のほうがよっぽど興味をひきました。
女の子の家に行って雛人形を見せてもらうことに、かなりワクワクしたことを覚えています。
でも本当のところ、当時からうすうすは感付いていたんだけど、ぼくがワクワクしていたのは雛人形なんかじゃなく、雛人形を見つめる女の子の幸せそうな表情が見られることにワクワクしていたんだと思います。
彼女たちはみな一様に瞳を輝かせ、口元にはやさしい笑みがこぼれていました。
そういう表情をしているときは、ぼくが何かを話しかけてもちゃんとした返事が返ってくることはありませんでした。
彼女たちはぼく以外の誰かと話し込んでいたようです。
残念ながら大人になったぼくは、もう女性にそのような瞬間を見つけることが出来なくなってしまいました。
それを人は成長と呼ぶのかもしれないけど、なにかが決定的に損なわれてしまったことに嘆傷を覚えないわけにはいきません。
毎年ひな祭りの日がやってくるたびにぼくは、かつてそういう時間が確かに存在したんだと、過ぎ去った季節に懐旧の情を抱くのです。
それは言ってみれば、古い地図を開いては今はもう無くなってしまった国々をひとつずつ探し出す作業に似ています。
そこからなにか真新しい発見がなされるようなことはありませんが、今のぼくにとっての桃の節句は、不連続な時間の中に身を置くことで自分の輪郭をより際だたせるための、一種の儀式のようなものなのかもしれません。
