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2008 - 3 / 1
おひながし
もうすぐひな祭りです。
何とも素朴でかわいらしいおひながしを見つけました。
世界の民族衣装をまとったおひながし。

後ろを見ると、ヘンテコなのもいる。

子供のころの話しだけど、ぼくは男の子なので、端午の節句に鯉のぼりを飾って貰うのがスジなんだと思います。
でもウチにはありませんでした。
小さな庭しかなかったし、鯉のぼりなんて上げようがなかったのでしょう。
それはぼくの家だけでなく、農家の友達をのぞけば、おおかたの友達の家がみなそうでした。
でもだからといってぼくが鯉のぼりを欲しがったことはなく、ぼく自身は鯉のぼりにも鎧兜にも関心はありませんでした。
雛人形のほうがよっぽど興味をひきました。
女の子の家に行って雛人形を見せてもらうことに、かなりワクワクしたことを覚えています。
でも本当のところ、当時からうすうすは感付いていたんだけど、ぼくがワクワクしていたのは雛人形なんかじゃなく、雛人形を見つめる女の子の幸せそうな表情が見られることにワクワクしていたんだと思います。
彼女たちはみな一様に瞳を輝かせ、口元にはやさしい笑みがこぼれていました。
そういう表情をしているときは、ぼくが何かを話しかけてもちゃんとした返事が返ってくることはありませんでした。
彼女たちはぼく以外の誰かと話し込んでいたようです。
残念ながら大人になったぼくは、もう女性にそのような瞬間を見つけることが出来なくなってしまいました。
それを人は成長と呼ぶのかもしれないけど、なにかが決定的に損なわれてしまったことに嘆傷を覚えないわけにはいきません。
毎年ひな祭りの日がやってくるたびにぼくは、かつてそういう時間が確かに存在したんだと、過ぎ去った季節に懐旧の情を抱くのです。
それは言ってみれば、古い地図を開いては今はもう無くなってしまった国々をひとつずつ探し出す作業に似ています。
そこからなにか真新しい発見がなされるようなことはありませんが、今のぼくにとっての桃の節句は、不連続な時間の中に身を置くことで自分の輪郭をより際だたせるための、一種の儀式のようなものなのかもしれません。
投稿者 hamayo : 2008年3月 1日 07:30
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きっと大人になると、お雛様より惹かれるものがあるのでしょうね。
もっと歳を取ると色んな事に疲れてしまったり・・・。
hamayoさんの言葉は私の心をはっとさせます。
何かが自分の手にはいるとき、生まれていちばん始めに行われるのは「贈与」だと思います。
そしていずれはそこに、「交換」の考え方が入ってきます。
「交換」の概念が入り込んできた瞬間、いやそれ以前に「交換」の概念を知ってしまった瞬間に、あの笑顔は雲散霧消してしまうんじゃないかと思うのです。
もっといえば、両親から幼な子に雛人形を与えるというのは、「見返りを求めない贈与」である可能性が高く、それ以外は知らないという状態でしか現れてこない笑顔なのかもしれませんね。