« 2008年10月 | メイン | 2008年12月 »
2008 - 11 /23
頂白山へ、電車に乗って
それは、ほんの1週間前の話しなのです。
なにもかもが雪の下にうずもれた今となっては、ずいぶん前の出来事のように思えてきますが、そこには確かに晩秋の風景がありました。
足の裏には今でも土の上を歩く感触が残っていますし、落ち葉を掻き分ける音や小川のせせらぐ音も、はっきりと思い出すことが出来ます。
ここは仁木町。
道路の両脇に延々と続く果樹園は、フルーツ王国仁木を代表する風景です。

フルーツ街道を通るたびに、この山の看板のことが気になっていたものの、なにぶん小さな山なので行く機会にも恵まれず今日まで来てしまいました。
無雪期最後の山歩きは、仁木町ウェブサイトのトップページにも載っている、頂白山へ。
小さな山にクルマで行ってもつまらないので、JRを使って行き帰りの道中も楽しんでまいりました。
頂白山 断面図

電車はいいなぁ
↓↓↓↓↓↓↓
■立席スイート
鉄道というのは、休日よりも平日のほうが混み合うのかもしれない。
電車に乗らなくなって久しいので最近の事情はよくわかりませんが、週末の、しかも久しぶりに晴れて気温も上がった日なので、出掛ける人も多く混んでいるだろうと思っていた車内は、思いのほか空席が目立っていました。
といっても、混んでようが空いてようが、座るつもりはハナから無いのです。

ぼくにとってこの場所は、ある意味スイートルーム。
トワイライトエクスプレスの1号車スイートに乗った気分で、函館本線を西へ。

■Red Nuts
赤は秋の色でしょうか。
ブドウもリンゴも収穫が終わり、華やかだった果樹園はどこも淋しげですが、野辺にはまだその残り火がくすぶっています。



秋の野には赤い色があふれていました。
でも赤は、冬の色なんじゃないかなぁ。
■明るいほうへ
弱々しい11月の陽射しが巻層雲によってさらに薄められ、山の秋はもはや消えいる寸前です。

丁寧に刈払われた幅の広い山道は、右に左にと緩慢に曲がりながら、ずっと遠くまで続いています。
まだ目指す頂白山の山容は見えません。
勾配もゆるく、この道が本当に山頂につながっているのかと不安になってきます。
それでもぼくは、光走性をしめすプランクトンのように、ただただ明るいほうへと進みます。
■雑木林
雑木の林に身を置くと、とても落ちついた気分になります。
それは、大雪や日高にあるような原始の森に入ったときに抱く緊張や、そこかしこから感じる人を寄せ付けないような視線とはまったく異質なものです。
人によって育てられ、人との共生を続けてきた雑木林には、人との接触を拒むような要素はどこにもありません。
いやむしろ、人が来ることを喜んでいるかのような雰囲気さえ感じられます。
そしてぼくも。

果樹園の裏手から続く山道の奥には、整然と手入れされた雑木林がひろがり、そこには冬の午後の日だまりのような暖かさがありました。
■どこまでも平らな道
あまりに幅が広く、歩きやすい道のせいで、「登っているのか?」という疑念をなんども抱きながら歩いていると、唐突に頂白山が目の前にあらわれました。

このまま直登するのであれば、山頂は目前ということになるのですが、幸か不幸か道はここから大きく右へと迂回し、結局この緩やかな道は山頂まで続きました。
さらに、山頂手前の北峰と南峰とのコルでは、テニスコートが1面取れそうな広さの平地がいきなりあらわれて驚かされます。

まったくもって、どこまでも平らな山です。
■電車の見える風景
山頂には先客がいました。
たったひとり。
よく見ると、仁木の果樹園が広がる坂道で、ぼくが歩くのとほとんど変わらない速度で、自転車をよっこらしょと漕いでいた女性でした。
結局のところ、仁木駅から頂白山の頂上までの間、この人にしか会わなかったということです。
「なにもせずにぼーっと、遙か下の函館本線を走る小さな電車を見るのがこの山に登る楽しみなんです」、という彼女の言葉がとても印象的でした。

■そば粉のガレット
ずっと昔、札幌に Cafe-Creperie Le Bretagne というガレットを食べさせる店があり、何度か食べにいったことがありました。
ちょうどオープンカフェというスタイルが北海道にも渡来しはじめたころで、夜風に吹かれながらあつあつのガレットを食べたことが懐かしく思い出されます。
そば粉というと「そば」しか思い浮かばない時代でしたから、香ばしくて滋味に富んだガレットの味に、第6の味覚を発見したかのような衝撃を感じたものです。

山では大きなフライパンが使えないので、うまく焼くことは難しいけど、ガレット自体はとても簡単、かつシンプルな食べ物です。

デザートガレットはちと失敗。
ダイス系でなくスライス系のドライフルーツならうまくいくかも。
■展望は180度
高さ400mちょっとの雑木の山なので、ダイナミックな展望こそ見られませんが、すぐ足もとにこぢんまりとした町並みが広がる風景は、遠く離れた土地に出掛けたときのような旅愁を感じさせます。
・頂白山からのパノラマ
QuicktimeVR版 はこちらをクリック(1103KB)
Flash版 はこちらをクリック(1180KB)
鉄橋を渡る電車の音が向かいの山にこだまし、電車が見えなくなったあともしばらく耳に届いていました。
■まるで時間が止まったかのように
午後から雪、の予報が気持ちよく外れ、長い影を引きずって歩く帰り道。
枯れ草さえ微動だにしない完全な無風のなか、向こうに見えるあの山も、いま歩いているこの山も、永久にこの季節のまま凝固してしまうんじゃないかという錯覚を感じます。

ひとつくらいそんな山があっても悪くありませんが、寒気も雪も北風も、均しく分けへだて無く平等に、すべての山にやってくるのです。
■そして然別へ
然別の駅へと向かう途中、余市川を渡る橋の上から頂白山が見えました。
道のなだらかさとは裏腹に、意外にも端正な姿をしていました。

然別の駅は思ったより近くなく、線路を横切ろうとしたときには、乗る予定だった14時47分発普通列車は駅を出たあとでした。

駅に人の姿はなく、日が陰った駅舎の中に冷たい空気が忍びこんできます。

次の電車まで1時間。
何もしない、何もできないこういう時間が、わりと好きです。
じっと目をつむり、今日の山を思い返し、今年の山を回想していると、だんだんと体の中から暖かくなってくる気がしました。
翌日から大雪が続き、どっかりと雪が積もったこれを書いている「今」から考えると、たった1週間前にこんな日があったことが幻のように思えてきますが、それがかえってこの日を特別な日として輝かせるのかもしれません。
無雪期の最後、本当に最後の最後にこの山を歩けたことは、今年の最上級の喜びです。
一日中雨で何も見えなかった八甲田や、氷雨のなか撤退したイワオヌプリを帳消しにしてくれるような、きらきらと光り、ほくほくと暖かい、無上の山旅でした。
投稿者 hamayo : 12:30 | コメント (5) | トラックバック
2008 - 11 /16
国産小麦粉でパンを作るのは
事務所の女の子にもらった小麦粉でパンを焼きました。
彼女はどうも近所のパン教室で勉強してるらしく、次から次へと新しいパンを作っては事務所に持ってくるのですが、回を重ねるごとに目に見えて上達しており、もはやスーパーに入ってるようなパン屋は越えたかな、ってレベルになってしまいました。
そんな彼女からもらった小麦粉300gは、秋口に富良野・美瑛あたりを旅行したときに買ってきたものだそうです。
いわずもがな国産小麦粉です。
つまりアレだ、これは挑戦状だな。
いままでピザでもパンでも、扱いが難しい国産の小麦粉を避けてきたのですが、こうなりゃ作るしかあるまい。
キャロルおばさん、どうか力を貸してください。

難しいとかよりも、その香りの良さに昇天
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
訳あって、型に入れて焼きました。

見た目はコルネ風だけど、ただの大型バターロールです。

まずまずの出来ばえです。

今回、砂糖のかわりにハチミツを使いました。
イーストの予備発酵にもハチミツを使いました。
焼き上がったパンを割ると、お花畑にいるかのような芳香がふんわりと立ち昇り、幸せな気分になります。
国産小麦粉については北米産のものと比較して、加える水の量に苦労しました。
たぶん今回の小麦粉の場合、やや少なめで正解なんだと思います。
何より驚いたのは、捏ねているときの香りです。
まさしくパン屋の匂い。
部屋中にパン屋の匂いが立ち込めました。
そりゃパンを捏ねてるんだから当たり前なんだけど、いままでの小麦粉ではこれほどまでにかぐわしい香りがすることはありませんでした。
例えばコーヒーが、淹れるときや豆を挽くときよりも、豆を煎るときのほうが何倍もいい香りがたつのと同じように、パンも焼くときや食べるときよりも、捏ねているときのほうがいい香りがするんだ、という事に気付かされました。
よーし、次からはこの小麦粉でいろいろやってみよーっと。
投稿者 hamayo : 13:47 | コメント (4) | トラックバック
2008 - 11 / 4
思索の山、両古美山
いつ来ても期待を裏切らない山。
そんな山をひとつ知っているだけで、じゅうぶんぼくは幸せなんだと思う。
去年と同様、雪が降る直前の両古美山で、寒風に吹かれてきました。
山で考えるということ
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
■空の青、山の蒼
たかだか標高600mのラインに森林限界を持つこの山には、今日も強い風が吹いている。
冬のあいだの大量の積雪のみが、この景観を作るわけではないはずだ、とぼくは思ってる。
四六時中吹いているこの強風もまた、関係しているはずだ、と。

考え事をしていても、頭に浮かんだ言葉は風に吹かれてちぎれ飛んでいく。
残された言葉を集めて、思索の山歩きへ。
■枯れ木も山の賑わい
いんや、枯れ木が主役なのだ。
冬が近付くと山の木々はみな葉を落とし裸になっていくのに、人間は着る服を増やしてどんどん着膨れしていく。
人間の美しさの所在には興味ないけど、身にまとっていた葉を全部落とし、幹と枝だけになった白樺の木にぼくは、背筋の凍るような美を感じる。
■野菊
花が散ったあとに残された野菊の種子は、華やいだ秋が終わったことを告げる花火のようだ。
やれ固有種だとか、希少種がどうとかいって、おおぜいの登山者に愛でられた野山の花も、散ってしまえば見向きもされない。
次世代への遺伝子をたずさえた種子にもまた、花の時代とは別の美しさがあるのにな。

この程度の冠毛にどれほどの効果があるのか分からないけど、雪が積もる前に風に乗って飛んでいけと祈らずにはいられない。
■落ち葉の魅力
落ち葉を蹴散らして歩くのは楽しい。
冬枯れの山で、乾いた落ち葉の上に眠るのは、ぼくのささやかな夢のひとつ。
でも北海道の野山でそれを実現するのは、綿密な計算と幸運が必要になる。
前にも書いたけど、落葉と降雪とが一緒にやってくる北海道では、落ち葉はすぐに濡れてしまう。
そして濡れた落ち葉はなかなか乾かない。
乾かないうちに次の雪が降り、しだいに山は白くなっていく。
チャンスはほんの数日しかない。
ぼくが関東の低山にあこがれるのは、多分このせいなのだ。

でも今日は泊まらない。
テントは背負ってきてるけど、今日は泊まらない。
明朝にはここも真っ白になってるだろう。
■今川焼 = 回転焼き ≠ おやき
甘納豆とドライアップルのパンケーキ。
というか、今川焼。
フライパンとしては使いようがないコッヘルの蓋も、今川焼にはベストなサイズ。

甘納豆だけだとホントの今川焼みたいになるけど、ドライアップルを入れることで酸味がきいて洋風になる。
小麦粉は偉大だな。
今度はそば粉でやってみよう。
そば粉の香ばしさは、しょっぱいものにも合うはずだ。
おやつでなく主食にもなれるかもしれない。
■イキりの岩
そんな名前の岩はない。
でもこの岩場に来れば、誰もがこんな写真を撮りたくなるに決まってる。

「おまえ、なにイキっとんねん」、ってカンサイ人ならそう言う。
しゃーない。
ここは見晴らし良すぎなんだから。
・両古美山8合目くらいからのパノラマ
QuicktimeVR版 はこちらをクリック(639KB)
Flash版 はこちらをクリック(893KB)
■三次元トーラスの夕べ
海が見える山はいい。
海岸から眺める海よりも、海原の只中で見る海よりも、山の上から見る海がいい。
それはたぶん、風景の遠近感だったり、水平線の遠望からくるものだと思うけど、今日はそれだけではない。
三つの海が見えるこの山で、興味は水平線のかなたに飛んでいく。
正しい宇宙モデルなんて、今の人類には一生かかっても見つけられないだろうし、見つかったとしても誰にも理解できないものになるのだと思う。
でもこうやって、高い場所から空と海との境界がはっきりしない夕陽の海に、水平線の向こう側を見ていると、クラインの壷や三次元トーラスの実体が見えてくる、、、気がする。
Newtonを立ち読みした直後のように。
■Über den Bergen
下山後に見る幾重にもかさなる山並みは、次の山旅への想像力をふくらませる源泉だ。
あの山の向こうに何があるのだろうか、何かが見つかるんじゃないかと、山の向こうへの欲求は強まるばかり。
実際のところ、「山のあなたの空遠く」にも、「山のあなたのなほ遠く」にも、幸いなんか無い。
小学校時代の大門先生は、幸いのありかをぼくにこっそり教えてくれたけど、その意味が分かるまでに何十年かかったことか。

「山のあなたのなほ遠く」はつまり「山のあなたのあなた」だが、「ここ」から見た「山のあなたのあなた」は、「山のあなた」から見れば「山のあなた」なわけだ。
「山のあなた」まで行って見つからないものは、どれだけそれを重ねても見つからない。
ゼロは何倍してもゼロだ。
哲学や形而上学的な答えなのかと思っていたそれは、以外にも物理学的、あるいは数学的な解釈の方が分かりやすかった。
それとも ZEN?。
最後は西からせまってくる雪雲に追い立てられるかのように、急ぎ足で下りてきた両古美山。
それでもじゅうぶん思索の山は楽しめた。
昔の人は、山は考える場所だと思っていたようだが、たしかにそのとおりだと思う。
家の中とか、布団の中とか、クルマの中なんかよりは、よっぽど考えるのに適した場所だ。
山に行くたびいつもこんなふうに思索していると、そのうち役行者か空海みたいに・・・は、なれないけど、修行を積めば山に行かなくても山に行った気になれるかもしれない。
エア・ギターならぬ、エア・トレッキングだな。




