2008年1月 5日

ネバーエンディングお正月



あけましておめでとうございます。


今年の正月は何年ぶりかに内地ですごしました。
テレビもいっぱい見ましたよー。
もう今年の分はいいや、ってくらい。


んで、テレビをたっぷり見て思ったことを3つ。


 1)みの---氏が出ると、CMだろうが番組
   だろうが何でもウソに見える件

  
 2)駅伝のゴボウ抜きって、チームにとっては
   不名誉な記録。だよね?

  
 3)NHKはけっこう再放送ばっかりなんだ


テレビもたまに見ると、新しい発見があっていいもんです。
今年もよろしくお願いします。

投稿者 hamayo : 16:27 | コメント (2) | トラックバック

2007年12月13日

バックカントリーとは。そして野良テレマーク



バックカントリーとは、どういう意味なのだろう。
どんな場所のことをいうんだろうか。


たとえば、整備されたスキー場のロープを越えて、踏み固められていない自然のままに降り積もった雪の斜面をスキーやボードで滑ることを、バックカントリースキー、バックカントリースノーボードなどといったりする。


たとえば、スキーにシールを付けたりスノーシューを履いたりして自分の足で雪山に登り、真っさらな斜面にシュプールを刻んで滑り降りてくることを、同様にバックカントリー・・・、と言ったりもする。



/////////////////////////////////////////



これは昔、どこかで読んだ話し。


そもそもバックカントリー(Backcountry)というのは、人が入ることのできない自然、場所、地域を意味するものであるということ。
人跡未踏という意味において手つかずの自然が残されており、人間の能力では分け入ることが困難な場所のことを指す言葉、それがバックカントリー。


とすれば、ちょっとした技術と経験と装備を持って(時にはガイドを伴って)、週末にふらっとやって来て歩いたり登ったり走ったり滑ったりするような場所は、バックカントリーと呼ぶにふさわしいのだろうか?。


そういう場所は「フォアカントリー」と呼ばれており、ある程度の経験と技術があれば単独で入ることもできるし、もしそういったスキルを備えていなくても、ガイドを伴うことで入っていくことができる場所のことを指している。


そして、永きに渡る純度の高い経験と研ぎ澄まされた技術を持つスペシャリスト、いわゆる探検家とか冒険家といわれるような人たちだけが入っていくことのできる自然を、「ミッドカントリー」と呼ぶ。

と。


だれかが書いた本だったか、パタゴニアのカタログだったか、今となっては思い出せないけど。


/////////////////////////////////////////



この話しを読んでぼくは、みんなあまりにも平易にバックカントリーという言葉を使いすぎてるんじゃないだろうか、と思ったものです。
ぼくには恥ずかしくてちょっと使えないな。
それはまるで、ポール・ギルバートの前で、自分がいかに速くギターが弾けるかを説明しているようなもの。


でもだからといって、言葉の意味に疑問を持たずにバックカントリーという言葉を使っている人たちに対して、それは違うんじゃないだろうか言ったところで、もはやどうすることもできないくらいにこの言葉は浸透しきっているようです。
WebページやWebサイトのことが、ホームページという誤った言葉に置き換えられてしまったのと同じくらいに。


ライプニッツの無限小のごときマイノリティ、そして原理主義者でもある。
そんなぼくの呟きが聞き入れられようはずがありません。


だからぼくは、これまでも、そしてこれからも、手ぶらで行ける裏山から、いつもよりちょっと多めの勇気が必要な山まで、そこでの活動に対して「野良」という言葉を使うでしょう。
野山でやるテレマーク、だから野良テレマーク


「ノラ」という力の抜けた感じ、ゆるさ加減が好きです。
野良仕事のノラ、野良猫のノラ。
この長閑な音の響きこそ、ぼくのささやかな「バックカントリー」へのアイロニーです。

投稿者 hamayo : 22:40 | コメント (3) | トラックバック

2007年8月26日

サンタさんの真実。GDPとかミームとか

 
 このエントリは以下のリンク先の記事を参照しています。
 『GIGAZINE:子供たちにサンタクロースの真実をまざまざと伝える看板
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070826_santa_truth/
 
 
 
TB先では「夢も希望もない看板」と書かれています。
ぱっと見たしかにそのように見えますし、そう感じるのがフツーだろうと思います。
しかしコレ、本当にそれだけのものでしょうか?、と天の邪鬼なぼくは考えてしまうのです。


ぼくの推測が正しいとすれば、ぼくにとってこの看板を生み出した人物は、人類に夢と希望を抱かせてくれる救世主に映ります。
 
 
 
ぼくの想像世界へようこそ
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

続きを読む・・・

 
 
彼(この看板を生み出した人物)はたぶん、サンタクロースを消費主義の象徴として捉えているんじゃないだろうか。


とても残念なことだけど、経済的に自立している人たち(いわゆる‘大人’)の多くは、もはや消費主義から抜け出すことが出来なくなっている。
それどころか、深く考えることなくモノを買うことに躊躇いもしない。
曰く、「自分のお金でなにを買ったっていいじゃん」


酒やタバコとなんにも変わらない。
中毒。依存症。
なにかを買うことを止められない。


でも子供はちがう。
子供たちはまだ、意志はあってもそれを実行できる経済力がない。
子供たちはまだ、直接は消費主義社会の発展には寄与していない。
子供たちはまだ、思想などと呼べるものを作りあげてもいない。


子供たちが要求(おねだり)し、大人がそれに応えることによって、お金は「あちら側」へ渡り、企業は潤い、わが国の経済(いや、わが国とは限らないか)は「緩やかな拡大」を維持し、GDPもちょっとばかし増えるというわけだ。


その子供たちの要求が最も高まりを見せるのは、おそらくイエスキリストの誕生日。
盛り上がっているのは子供たちばかりでなく、大人たちも大はしゃぎだ。
「盛り上がらされている」ことや、「はしゃがされている」ことには気付いていない。


キリストの誕生日を亡き者には出来ないけれど、クリスマスというイベントを無力化することは出来るんじゃないか?。


Santa gives more to rich kids than poor kids

Stop lying to your children about Santa claus


「サンタさんなんていやしないんだぜ」って言うよりも、ずっとクールな語りかけだ。
そして、クリスマスイベントを無力化する第一歩としても、なかなかクールなやり口だ。


もちろん、ただちに世界中の子供たちが「サンタクロースの真実」に気が付いたりはしないし、気付いたとしても「おねだり」をやめたりはしないだろう。
それに万一この作戦が成功し、こどもたちが、赤い服を着て白髭を生やし三角帽子をかぶった老人に見向きもしなくなったとしても、古くからこのマインド・ウィルスに感染している大人たちは、行動を改めることはないだろう。


でもこれはまだ第一歩なんだ。
消費主義を安定的に発展させようと企む「だれか」によって、次々と送り込まれるマインド・ウィルスをやっつけるための、あらたなウィルス(まるで Remojinのような)なんだ。


踏み出したばかりの小さな一歩だけど、ミームとなって人の心から心へ伝染し、もしかするといつの日か

「えっ?
 クリスマスに私にプレゼント買ってくれるって?
 それってサイコーに ださいわよ。アナタ」


なんていう時代がくるかもしれない。
ネットによって世界中が繋がっている今日、こーゆーのってうまく潮流をとらえれば、ほんの数年で目に見える変化が現れる場合もあるだろう。

       :
       :
       :
       :

なーんていうのが、ぼくの推測。
てゆーか、ほとんど妄想に近いかな(笑)。


でもね、「サンタさんの真実」に気付かなきゃいけないのは、子供たちだけじゃなくて、むしろ大人たちのほうなんじゃないかなぁ。
それは本当にそう思います。

 
 
彼(この看板を生み出した人物)はたぶん、サンタクロースを消費主義の象徴として捉えているんじゃないだろうか。


とても残念なことだけど、経済的に自立している人たち(いわゆる‘大人’)の多くは、もはや消費主義から抜け出すことが出来なくなっている。
それどころか、深く考えることなくモノを買うことに躊躇いもしない。
曰く、「自分のお金でなにを買ったっていいじゃん」


酒やタバコとなんにも変わらない。
中毒。依存症。
なにかを買うことを止められない。


でも子供はちがう。
子供たちはまだ、意志はあってもそれを実行できる経済力がない。
子供たちはまだ、直接は消費主義社会の発展には寄与していない。
子供たちはまだ、思想などと呼べるものを作りあげてもいない。


子供たちが要求(おねだり)し、大人がそれに応えることによって、お金は「あちら側」へ渡り、企業は潤い、わが国の経済(いや、わが国とは限らないか)は「緩やかな拡大」を維持し、GDPもちょっとばかし増えるというわけだ。


その子供たちの要求が最も高まりを見せるのは、おそらくイエスキリストの誕生日。
盛り上がっているのは子供たちばかりでなく、大人たちも大はしゃぎだ。
「盛り上がらされている」ことや、「はしゃがされている」ことには気付いていない。


キリストの誕生日を亡き者には出来ないけれど、クリスマスというイベントを無力化することは出来るんじゃないか?。


Santa gives more to rich kids than poor kids

Stop lying to your children about Santa claus


「サンタさんなんていやしないんだぜ」って言うよりも、ずっとクールな語りかけだ。
そして、クリスマスイベントを無力化する第一歩としても、なかなかクールなやり口だ。


もちろん、ただちに世界中の子供たちが「サンタクロースの真実」に気が付いたりはしないし、気付いたとしても「おねだり」をやめたりはしないだろう。
それに万一この作戦が成功し、こどもたちが、赤い服を着て白髭を生やし三角帽子をかぶった老人に見向きもしなくなったとしても、古くからこのマインド・ウィルスに感染している大人たちは、行動を改めることはないだろう。


でもこれはまだ第一歩なんだ。
消費主義を安定的に発展させようと企む「だれか」によって、次々と送り込まれるマインド・ウィルスをやっつけるための、あらたなウィルス(まるで Remojinのような)なんだ。


踏み出したばかりの小さな一歩だけど、ミームとなって人の心から心へ伝染し、もしかするといつの日か

「えっ?
 クリスマスに私にプレゼント買ってくれるって?
 それってサイコーに ださいわよ。アナタ」


なんていう時代がくるかもしれない。
ネットによって世界中が繋がっている今日、こーゆーのってうまく潮流をとらえれば、ほんの数年で目に見える変化が現れる場合もあるだろう。

       :
       :
       :
       :

なーんていうのが、ぼくの推測。
てゆーか、ほとんど妄想に近いかな(笑)。


でもね、「サンタさんの真実」に気付かなきゃいけないのは、子供たちだけじゃなくて、むしろ大人たちのほうなんじゃないかなぁ。
それは本当にそう思います。

投稿者 hamayo : 23:07 | コメント (5) | トラックバック

2007年2月26日

手摘みとか、手詰めとか、手絞りとか、

 
「手摘み」という言葉、最近よく耳にします。
もっぱら食品の名称によく使用されていますが、ぼくはこの言葉にとても違和感を持っています。


Googleでこのキーワードを検索すると、出てくる出てくる。
もちろん茶葉やブドウなどのように、機械摘みと手摘みとの両方の作業方法が存在し、それぞれの作業の結果に明確な品質の差が生じるであろうものも、あるにはあります。


ただ最近とみに目に付くようになった食品の多くは、そもそも手摘みでしか採集できないものにわざわざ「手摘み」と断ってみたり、その材料がほんの数パーセント含まれるかどうかといった三次加工品であったりと、首をひねるようなものばかりです。


またさきに出したようなものであっても、「手摘みした○○を含んでいます」などといった、ひじょうに歯切れの悪い但し書きがされているものもあります。


名付けた側としては「手摘み」と付けることで、人の手のぬくもりが込められていますよとか、より自然に近いものですよとかのメッセージを伝え、無機質な工業製品的イメージを遠ざけ、在来のものとの差別化をはかる狙いがあるのだと思いますが、冷静になってよく考えてみて、そのアンマッチ具合にひとたび気付いてしまったが最後、もう負のイメージしか持てなくなってしまいます。


さらに最近、「手摘み」につづいて「手詰め」と名付けられた商品も目にするようになってきました。
これもまた「手摘み」同様、あるいはそれ以上に、「てゆーか、昔からもともと手で詰めてたでしょ?」といったものや、「手で詰めたからどうなのよ?」といったものが多く、センスの貧困さに天晴れです。


しかし今しばらくは、まだまだ登場してくるでしょうね、「手摘みナンタラ」、「手詰めナントカ」。
バリエーションとして、「手絞り牛乳を使ったナントカ」みたいな細菌管理のできてなさそうな乳製品とか、人の手でやさしく成仏した「手絞めニワトリ」のフライドチキンとか、末期にはそういう感じのやつも出てきたりして。


まぁいずれにせよ数年後には、「源泉掛け流し」や「マイナスイオン」と同じ、ハズカシイ言葉のグループに仲間入りするのは確実だろうな、とぼくは予想します。


あ、でもね・・・
 
 

続きを読む・・・

 
 
 ・・・トロピカーナ 手摘みスウィーティー、これはぼく大好きです。
酸味と苦みと甘みのバランスが見事で、後味の切れ方がとってもシャープ。

これが濃縮還元じゃなかったら箱買いするだろうなぁ。
410ml でちょっと容量少ないけど。

 
 
 ・・・トロピカーナ 手摘みスウィーティー、これはぼく大好きです。
酸味と苦みと甘みのバランスが見事で、後味の切れ方がとってもシャープ。

これが濃縮還元じゃなかったら箱買いするだろうなぁ。
410ml でちょっと容量少ないけど。

投稿者 hamayo : 07:41 | コメント (9) | トラックバック

2006年10月 7日

「"国策検索"、知ってますか?」

 
 「Google八分、知ってますか?」眞鍋かをりが"国策検索"アピール
 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0610/05/news092.html
 

そんなこんなで、CEATEC も今日で閉幕です。
ま、それはおいといて。


「Google八分」については、ご存じの方も多いかと思います。
Google は Googlebotたちが無心で集めたコレクションだなんていうのは、もはや遠い過去の話で、権力に弱くお金が大好きな、そんな人間くさいロボットが何台か混じっているんだそうで・・・。


だけどぼくが思うのは、仮に日の丸検索エンジンが大成功を収めたとして、あんたたちもやっぱり検閲やるんでしょ、ってこと。


現政権のやることにイチャモンを付けるようなサイトが、ものすごい数のページビューを連日続けていたとしても、検索でヒットしないようにしたり、ランクを下げたりなんてことを、平気でやりそうな気がするんですよねー。


まぁでも、こいつが成功する可能性は、ほとんど無いでしょうけどね。


経産省はこのプロジェクトに対して、平成19年度から3年間、毎年50億円ずつの予算を要求するようですが、かのマイクロソフトが、年間 1,000億円以上つぎ込んでいる MSNでさえ、赤字と黒字を行ったり来たり(というか、ほとんど赤字まれに黒字)しているというのに、本当に勝機があると思っているのでしょうか。


やれやれ・・・。

投稿者 hamayo : 19:17 | コメント (0) | トラックバック

2006年9月22日

繋がらないひかり電話

 
3連休明けから、NTT東日本エリアでは、「ひかり電話」が繋がりにくい状況が続きました。


 『「ひかり電話」のつながりにくい状況等について』
 http://www.ntt-east.co.jp/release/0609/060921z.html
 
 
公式発表があるまで本当のことは分かりませんが、簡単にいうと、捌ききれない数の呼が発生したのが事の始まりかと思われます。
そして、捌ききれなくなってあっぷあっぷになる前に制限をかけたために、繋がりにくい状況が発生したということでしょうか。


さいわいウチの事務所では、11外線すべてメタルの固定電話なので、実害はほとんど無かったと思いますが、VG4xx系 や BR500 などを使って、ひかり電話オフィスタイプで何回線も番号を持っている事業所などでは、ここ数日はまさに仕事にならない状況でしょう。


このニュースは、TVでも映像が流れたし、ネットでもあちこちで取り上げられています。
NTTがひかり電話の通話を規制していることについて、「事前に連絡も無しに電話を止めるなんて非常識だ」という内容の発言がけっこう目に付きました。


ずいぶん恥ずかしいことを言うよナー、って思いつつ見ていました。
これ、NTTとしては当然の措置です。


「音声利用IP通信網サービス契約約款」の第22条、第26条には、要約(原文は回りくどい言い方なので。下部のリンクからPDFファイルが見られます。)すると以下のようにあります。


音声利用IP通信網の品質確保のためやむを得ないときや、通信が輻輳して公共重要機関の回線を優先的に取り扱う必要が生じたときは、お客様の利用を中止します。


そして利用中止の通知については、


契約者からメールアドレスの提供をうけている場合はメールで、それ以外の場合はホームページ上で通知します。
緊急の場合はお知らせいたしません。


とあります。


連絡してから止めて欲しいと考えている人たちは、いったいどういう手段で通知してほしがっているのだろう。
電話で?。まさかね。


個人ユーザーならまだしも、企業として使用するのなら、担当者は契約約款を熟読し、理解し納得してからハンコを押すのは常識でしょう。


トラヒック増大を予測しきれなかったことや、キャパをオーバーしたときのことを真剣に考えてなかったNTTにはもちろん非があります。
根本原因はソコですからね。


でもユーザー側は、ひかり電話と加入電話との相違について、技術的な部分だけでなく、サポートに関してもしっかり認識しておくべきです。


加入電話契約を休止し、VoIPが加速度的に普及している今、コストの部分ばかりが注目されていますが、不測の事態が発生したときどう対応するのか、これまでと同じでいいわけがありません。


下らない文句を言うヒマがあったら、自分の身は自分で守れるよう、自分の手で環境を整備しておくべきなんじゃないでしょうか。
 
 
 
 参考
 『NTT東日本:契約約款INDEX』
 http://www.ntt-east.co.jp/tariff/yakkan/
 『同:ひかり電話、ご利用上の注意』
 http://www.ntt-east.co.jp/t/use/index.html#riyou

投稿者 hamayo : 22:25 | コメント (0) | トラックバック

2006年8月22日

第88回夏のナショナリズム大会、終わる

 
駒苫残念でしたねー、、、、 なんてこれっぽっちも考えてないぼくですが、ぼくの周辺は昨日今日とそういう空気で満ちあふれています。


日曜月曜と試合があった時間帯、街の辻や通りでは街頭のテレビに人だかりが出来、異常なまでのエネルギーで興奮の磁場が形成されていました。


正直ぼくには、彼らが盛り上がる理由がよくわかりません。
ここは小樽ですから、「母校だから」という理由ではないでしょう。
おそらく、「北海道のチームだから」という理由ではないかと考えます。
それ以外に、適当な理由が見あたりませんし。


けれど、そういう理由(出場校と同じ都道府県に住んでいる、という理由)で「ある高校」を応援するという心理は、ぼくにとっては文字にすることさえ違和感のある、さわり心地の悪いものです。


ぼくは兵庫県出身です。
今大会では、東洋大姫路が県代表として甲子園に出場していました。
でもとくに東洋大姫路を応援する気にはなりませんでしたし、おなじく駒苫を応援する気にもなりませんでした。
 
 
 
 
長い余談になりそうだけど・・・、もし兵庫県代表が報徳学園だったなら、ぼくは報徳を応援していたでしょう。


報徳学園は母校ではないですが、家のすぐ近所でしたし、母校にもよく練習試合できていましたし、ぼく自身も(野球じゃないけど)報徳学園には何度となく試合に出掛けていたので、とても親しみがあるのです。
大人の言葉で言えば、「お世話になった学校」という感じです。


「じゃぁ今大会、あんたはどこを応援してたのさ?」、と。


 # どこかを応援しないといけないのかなぁ?


強いて言えば、早稲田実業でした。
優勝したから言うのではありません。
「お世話になった学校」だからです。


1981年の夏の大会 3回戦、早稲田実業 vs 報徳学園の試合は、世間の評価もそうですが、ぼくが見た試合の中でも文句なしにナンバーワンの名勝負でした。


高校野球史にのこる好投手、荒木大輔金村義明との激しい投げ合いになるかと当初思われたいましたが、実際は 8回表までは完全に早稲田ペース。
帰り出すお客さんまで出るくらいの一方的な試合だったものが、8回裏からすべての流れがガラリとひっくり返り、10回裏サヨナラで報徳学園が勝利した試合です。


このときの印象が強烈に残っており、今大会 荒木大輔ばりの好投手を擁す早稲田実業を、あのときのような名勝負を期待して、ひそかに応援していました。


そして実際、目を疑うような防御率を記録して斉藤佑樹は早稲田を優勝へ導き、あのときの試合を越えるようなドラマチックな名勝負を見せてくれました。
 
 
 
 
さて長い余談は終わりです。
高校野球でどこかの高校を応援したいのなら、もちろんどこを応援しようとそれは自由です。


だけど、地元(自分の居住地と同じ都道府県の代表校)だからという理由で、アドレナリン全開で街角のテレビの前で応援する群衆を見るとき、ぼくは戦争前夜を想像せずにはいられません。


「地元だから」とにかく応援する。
「地元だから」手放しで応援する。
そういう人たちを見るのが恐いです。


このひとたちは、わりと簡単な方法で、戦争(自分の居住する地域が、他の地域を征服する戦い)を肯定する(というか、戦争を肯定する考え方を容易に受け入れる)んじゃないだろうかと。

投稿者 hamayo : 20:54 | コメント (9) | トラックバック

2006年5月 3日

地デジ、広告、インタラクティブ

いわゆる「インターネット」の時代になって、広告も大きく様変わりしました。
視聴者のアクションが画面に変化を与える。
それは、テレビや新聞、雑誌や中吊り広告にはない、「双方向(インタラクティブ)」の性質を持った新しい感覚です。

 『Driver's Eye:公共広告機構』』
 http://www.interactive-salaryman.com/pieces/driver_j/win.html
 『Save Paper Save Forest:WWF』
 http://www.tyo-id.co.jp/works/banner/2004/wwf/02.html
 『スロットマシン:骨髄移植推進財団』
 http://www.interactive-salaryman.com/pieces/slot_j/
 『過去:公共広告機構』
 http://www.interactive-salaryman.com/pieces/past_j/mac.html
 
ぼくが住む札幌近郊でも、いよいよ地上デジタル放送が始まります。
いうまでもなく「地デジ」のいちばんの目玉は「双方向サービス」です。


双方向サービスといっても今のところはまだ、「ラジオ番組に電話で曲をリクエストする」の延長線ていどのものが主なようですが、必ずや近い将来、地デジにおける広告には、さきに挙げたWeb広告のようなインタラクティブなものが登場するでしょう。


「インターネット」を知らない人たちの目には、そうしたインタラクティブな広告は、いったいどのように映るのでしょうか
しょせん広告は広告、番組がCMに入るとチャンネルをザッピングし始めるのでしょうか。
それともそこに、まったく新しい文化や習慣が生まれるのでしょうか。


前世紀末、インターネットがこの地球上に新しい夜明けをもたらしたように、いま再び地上デジタル放送が、地平線を赤く染めはじめているのを目にすることが出来ます。
それが夜明けを予告する東の地平線なのか、日没を意味する西の地平線なのかは分かりません。


わかっているのは、メディアがひとつの転換点を迎えようとしているということと、その瞬間にぼくたちは立ち会おうとしているということです。
今から10年後、この Blogのこのエントリを、どんな感慨を持って眺めているのか、ぼくはとても楽しみです。

投稿者 hamayo : 17:33 | コメント (3) | トラックバック

2005年9月26日

(たぶん)えらい!、Nikonさん

BGLoD」なる名称まで付けられた、世界中で発生している Nikon製デジタル一眼レフカメラ D70 でのトラブルに対し、ついにNikonが公式に謝罪をしました。

 『Nikon Imaging:重要なお知らせ


ネット上のコミュニティなどで、この現象が頻繁に報告されはじめたのは、今年の7月頃だったと思います。
日本では、「D70 突然死」というセンセーショナルなタイトルの投稿が多く見られました。


それから 2~3ヶ月、早いのか遅いのか分かりませんが、自分達に非があることをきちんと認め対応する姿勢に、「えらい!」と唸ってしまいました。


この件では今まで、保証切れでも無料で修理されたケースが多い中で、1万円~2万円の修理費を請求された例もあるようです。
しかしそういった有料修理となった場合でも、修理代金を返還することが決定しており、またまた「えらい!」と唸ってしまいました。


当たり前といえばアタリマエの対応なのですが、都合が悪いことはなんでも隠してしまう企業が多い昨今、久しぶりに評価できる決断だと思います。


もちろんこの不具合で、二度とは来ない機会を失った方も多くおられるでしょう。
また今は問題がなくても、いつ爆発するか分からない爆弾を抱えながら、撮影を続けていかなくてはいけない人も多くいるわけです。


はじめから壊れないカメラを作ればいい、という意見もあります。
正式に非を認めることで失う信用も、小さくはないでしょう。
D200(仮名)の発表目前といわれる微妙な時期での公表は、収益にはマイナスに働く可能性もあります。


短期的に見れば、あまり良いタイミングでの公表とは言えないのかもしれませんが、Nikonサイトの「重要なお知らせ」の文章からは、私は最大限の誠実さを感じ取ることができました。

投稿者 hamayo : 23:09 | コメント (3) | トラックバック

2005年4月21日

ロック岩崎さん

映画の中だけでしか見たことがなかったアクロバット飛行。
飛行機を意のままに操る職人技。

それを国内でも見ることができるって知ったのは、去年の丘珠空港航空ショーのときでした。
空気を伝わって見るものの体を激しく振動させるエンジン音が、映画のスクリーンの中のそれとは比べものにならない臨場感を生み出していました。

青空に映えるトリコロールカラーの機体は、まるで意志を持つ鳥のように縦横無尽に飛び回ります。
飛行機に命を吹き込むのは、ロック岩崎さんという方です。

大空にスモークで文字を描き、背面飛行のまま急上昇をしたかと思えば、ヘリコプターのように空中でじっと静止し、大地に向けて真っ逆さまにきりもみで急降下し、地面すれすれで機首を上げ超低空飛行に移り、観客に向かって手を振り、機体を左右に振って愛嬌を振りまく。

今までに何百回と繰り返したであろう一連の動きのどこかに、今日初はじめて狂いが生じたのでしょうか。
空の遙かかなたで静止していた機体は、いつものように地球の中心へ向けて急降下を始めました。
しかしその機首が水平になることはなく、トリコロールの鳥は大地に叩きつけられました。

今日のお昼、兵庫県の但馬空港で訓練飛行中のアクロバット飛行機が墜落し、操縦していた岩崎貴弘さん53歳が亡くなりました。
いまでもまだ信じることが出来ません。

墜落したのはただの航空機ではありません。生き物なのです。
比喩や大袈裟なレトリックなんかじゃなく、ロック岩崎さんが乗りこむ飛行機は、まさしく生き物になるのです。

命ある鳥が、地面に激突してしまう。
それはぼくの想像力の範囲から激しく逸脱した物語のようで、うまく輪郭を描くことが出来ません。
ニュースの映像は、映画の中の出来事のようにリアルさを欠いて、繰り返し流されていました。

http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20050421p302.htm

投稿者 hamayo : 22:02 | コメント (1) | トラックバック