2010年7月19日
セミのなる木
ここは天狗山の山腹、おたる自然の村。
どういうわけか、セミの幼虫がびっしり張り付く不思議な木があるのです。
写真には写ってないけど、上から下まで、目に見えるだけでも10以上の抜け殻と、じりじりとクライミング中の幼虫2匹。
幹の裏側にも同じぐらいいるわけで、正味な話しちょっと気持ち悪いです。
他にいくらだって木はあるのに、なぜこの木だけが羽化に使われるのか。
不思議なこともあるものです。
霧の向こうで、キビタキとオオルリが、美麗な鳴き声を競っています。
遠くで聞こえていた、アオバトの声がやんだと思ったら、とつぜん目の前に飛び出してきました。
誰かが森の奥から、緑色のラグビーボールをスローインしたかのように。
青い空も、陽射しもない。
うす暗く、湿った7月は、なんとなく懐かしい本州のそれに似ていて、ぼくはそんなに嫌いじゃないな。
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2010年6月28日
小諸から山へ思いを
すっかり夏山に浮かれてしまって、もうずっと過去のことのように思えてしまいますが、忘れないうちに小諸のことも記さないと。
佐久から見た八ヶ岳も、それはもう感動的でしたが、小諸からも山がいっぱい見えるのです。
近くの山も、遠くの山も、もっと遠くの山も。
千曲川から小諸の町の方を見上げると、背後には浅間山とその仲間たちがズラリと並んでます。

この日はあまりに天気が良く、時期としても春をすぎていたので、藤村の歌にあるような物憂さや欠乏感はみじんも感じられませんでしたが、こうして千曲川のほとりを歩きながら少しばかり想像力をはたらかせてみれば、あの歌にある情景がおぼろげながらも浮かんでくる・・・、ような気がします。
懐古園の水の手展望台からは、キング・オブ・双耳峰、鹿島槍ヶ岳が見えます。

やはり鹿島槍の美しさは別格です。
五竜岳も凛々しく聳えています。
ぼくの冬山デビュー(テント崩壊で敗退)の山でして、感慨もひとしおです。
母さん、ぼくのあの鯖の缶詰どうしたでせうね。一ノ背髪から小遠見山へ行く道で、犬川へ落としたあの缶詰ですよ。
そして小諸の市街地、荒町の坂の上から見えるのは・・・

山好きなら地図もカシミールも無用、即座にそれと分かる鋭い絶頂、槍ヶ岳です。
20年ぶりに見た、ナマ槍ヶ岳ですよ。
(画像はトーンカーブをいじってます)
さらに、千曲川の河畔、高麗人参畑から見える白く輝く山はなんと・・・
(これもトーンカーブいじってます)

立山です。
これにはびっくり。
後立山の峰々に隠れるはずなので、まさか見えるわけがないとそのときは思ったけど、後立山の西の高い山といえば、たしかにこれしかありません。
ちょうど針ノ木・蓮華に雲影が落ちているせいで、立山の白さが際だって見えます。
実は小諸に行くまでは、こんなにたくさん北アの山々が見られるとは思ってもみませんでした。
同じ県の山といっても、右も左も山だらけで、しかも大きくて高い山ばかりの長野県ですから、大平原にぽつらぽつらと山がある北海道のようにはいくまいと思ってたのです。
なのでこうして北アルプスのビッグネームが町のあちこちから見えてしまうことにとても驚いたし、穏やかにはしてられないものを感じてしまいました。
これ以上近くから見てしまうと、ずっと前に心の奥のほうにしまいこんだ衝動が、目を覚ましてしまうかもしれません。
これくらいの距離から見るのが、ちょうどいいのかな。
今は、ね。
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2010年6月14日
小諸図書館(KOMORO TOSYOKAN)
なんでもかんでも横文字表記することにはあまり感心しないけど、それが似合ってるならぜんぜんオーケーです。

Library と書かず、TOSYOKAN としたセンスに脱帽です。
小諸図書館に用事があったわけではなく、ふらふらと細い小路をつないで歩いていたら、ここに出くわしただけなのです。
たぶん、著名な建築家がデザインしたわけでもなければ、保存すべき歴史の重みが詰まった建造物でもなく、どこの町にもあるごく普通の図書館なのだと思うけど、この文字があるだけでグっと洗練された印象を受けます。
あぁこの道を歩いてきてよかった、と独りごちてしまうくらい、ぼくにとってはかけがえのない巡り合わせでした。
投稿者 hamayo : 21:51 | コメント (2) | トラックバック
2010年6月 7日
小諸城と千曲川河畔
小諸にはお城があります。
駅を中心に見れば、小諸の市街地は駅よりも高い場所にあって、けっこう坂が多いなという印象を持ちます。
そして小諸城は、駅のすぐ近くにありますが、地形的にはさらに低い場所にあります。
天守閣がないことを考慮したとしても、「城が立っている」という感じはしませんし、ましてや市街地からだと城がどこにあるのかまるで分かりません。
小諸の町の断面図

つまり小諸においては、お城は登るものではなく下るものなのであって、城下町ではなく城上町といえるのです。
一般的な感覚でいうといささか奇妙な縄張ですが、自分の目で見て自分の足で歩いてみると、田切地形を使った空堀と千曲川の河岸断崖に囲まれた場所にあり、よくもまぁここまで見事な自然の要害を見つけたものだと、舌を巻くことになります。
上の写真を見ると、城よりもさらに低い場所、千曲川の河畔にも町並みが見えます。
小諸の町は二段構えになっているのです。
河岸段丘の上から見ると、水田に混じって真っ黒な畑が見えます。

畑というか、ただただ黒い広がりにしか見えないのですが、近づいてみると、わら葺の屋根の上に黒い寒冷紗のようなものをかけた、背の低い屋根だけの長屋みたいなものでした。
その中で栽培されているものは、観葉植物のパキラみたいな葉をしており、ぼくが知ってる野菜でこのような葉を持つものを見たことがありません。

こういう育て方をするくらいだから、日光と雨が嫌いで、涼しく乾燥した場所を好む、たとえばウドやホワイトアスパラなんかを想像しますが、そこまで完全に遮光するわけでもなく、なかなか正体が分かりませんでした。
結局のところ、これは人参だったのです。
人参といっても、普段ぼくらが口にする人参とはあきらかに葉の形が異なります。
これは高麗人参なのです。
土作りに数年、定植から収穫まで5年くらい、そして連作不可とのこと。
そこへ至るまでの道のり、栽培の苦労ははかりしれません。
このあたりは日本有数の産地だそうですが、そもそも高麗人参を栽培している地域自体、日本に数箇所しかないそうで、つまりこの風景は、この場所限りのものなんですね。
こんな貴重な風物を見られただけでも、小諸を歩いた甲斐があったというものです。
投稿者 hamayo : 11:35 | コメント (4) | トラックバック
2010年6月 5日
ツバメの季節
どこからか感じる熱視線。
ツバメくんがこんにちは。
北海道ではなかなかツバメを見る機会がありません。
内地に住んでいた時間よりも、北海道に住んでいる方が長くなってはいますが、「サクラの次はツバメ」という季節感はなかなか抜けません。
小学校のころは家のまわりにもまだ田んぼがいっぱいあって、学級の半分くらいは稲作農家の息子でした。
農家の友達の家に行って、飛びかうツバメに石を投げてからかっていると、ツバメは稲は食わんけど虫を食うてくれるから大事にせなあかん、とオヤジさんから怒られたものです。
ぼくの家は農家ではなく、家もふつうの建売住宅だったけど、玄関の軒先にツバメが巣を作ったときはとても嬉しかったことを覚えています。
ひとりっこで両親が共働きだったぼくは、学校から帰ってきてもだれも出迎えてはくれません。
でもツバメの巣ができてからは、にぎやかに鳴くツバメの子らがいつもいて、心がはずみました。
ある日ツバメの子は巣立ち、玄関先はまた静かになります。
カラッポになってしまった巣はこの家にできた異物のように思えてきて、取ってしまおうと父に提案すると、巣を残してあると来年また別のツバメが来てここで子育てするんだよ、と教えてくれました。
父の言ったとおり、その後もツバメは毎年ぼくの家で子育てをするようになりましたが、おなじ巣を使っていたかどうかは覚えていません。
小学校も高学年になり、友達との遊びにいそがしい毎日をすごすようになったぼくは、もうツバメの子らを気にかけることもなくなっていたのです。
それでも家のまわりをツバメが飛びかい、玄関先からヒナの鳴き声が聞こえるようになると、子供ながらに新しい季節が来たことを実感したものです。
初夏の信州、いつもは見る機会のないツバメの姿にふとそんなことを思い出して、写真を撮ったのでした。
投稿者 hamayo : 07:23 | コメント (2) | トラックバック
2010年6月 2日
スミレの咲く町
こんなスミレが咲く町に行ってきました。

植物に詳しい人なら、どこの町かすぐに分かってしまう、そんなめずらしいスミレです。
新幹線を降りて、そこよりも高い場所にあるローカル線のホームに出ると、
だしぬけに、大きな空、大きな山。

新幹線から乗り換えた2両編成のローカル列車には、明るくて、乾いた時間が流れていました。
よく目をこらせば、つかまえて手の上に乗せられそうなくらい、ゆるゆると流れていました。
窓のそとにはずっと大きな山が見えていて、少しずつこちらに近づいてきます。

小気味よい音を響かせる車輪のリズムが徐々にゆっくりになり、やがて駅に到着します。
駅前は小さな広場になっていて、向かいの古びた飲食店のビルの先に、薄く噴煙を上げる山が見えます。
広場の北側にはこぢんまりとした、けれどとても丁寧に作られた花壇があり、停車場ガーデンと名付けられたこの場所では、色とりどりの花が風にゆれていました。
そのすぐとなりに、この花と同じ名前のカフェがありました。
「こもろすみれ」
ぼくが今回、小さな旅をした町は、長野県の小諸市です。
投稿者 hamayo : 20:29 | コメント (2) | トラックバック
2010年5月31日
海峡の南
山脈の東。
投稿者 hamayo : 21:25 | コメント (4) | トラックバック
2009年9月 6日
オンネトーの青
いつか北海道を離れることがあったとして、北海道の中でもういちど訪ねたい場所を 1ヶ所だけ挙げてくださいといわれたら、真っ先にここを選びます。
訪れるたびに表情を変える湖面は、オンネトーのもっとも代表的な景観ですが、それはこの湖が持つ魅力の、ほんのひとつ。

それは文字どおり、湖のいちばん表面で起きている、ささやかな神秘です。
「本当の神秘は、目に見えるもののその奥にあるのです。」 湖底木はそう話します。

オンネトーとその森は、ここに住む多くのいきものたちと関わりあうのと同じようにして、旅の人間にも接してくれます。
いきものたちもまた同様に、森や湖とかかわるのと変わらずに接してくれます。

この森の王として、空をささえる巨木。
その身に刻んだ凍裂痕をとおして冬の厳しさを語るアカエゾマツも、ぼくを特別扱いすることはありません。

死者をつつむ衣のような、倒木をくるむ苔のやわらかさに、足をとめて、声をききます。

そんなみんなの優しさに、ぼくはいつもヤラれてしまうのです。
オンネトーに行くときは、必ず野営します。
湖からいちばん近い場所で、手を伸ばせば届くくらい近くで、湖と一緒に夜をすごし、そして朝を迎えます。

テントから見える夕景は、オンネトーが届けてくれた、最高のギフトです。

オンネトーを見おろす阿寒の山々にも、おなじ贈り物が届けられたようです。

最後の朝、湖をめぐる小径を歩いていると、ルリイトトンボたちが翅を休めている入り江がありました。

近くまでいくと、トンボたちはつぎつぎに飛び始め、道のおくへ向かっていきます。
どこまでも、どこまでも、ぼくが歩く先へと飛んでいきます。
気がつくとトンボたちの姿は消えていて、そこには岬へ続く細いけものみちがありました。
その道を歩いていくと、オンネトーの、ほかのどこよりも青い湖面があらわれました。

ここが特別な場所であることは、すぐにわかりました。
空のしずくから起きた青でもなく、森のしたたりがやどる青でもなく。
この青は、この湖の青は、あのトンボの青とおなじ青なのだと。
この夏、湖の奥でトンボがおしえてくれた秘密は、ぼくの大切な記憶です。
投稿者 hamayo : 19:52 | コメント (15) | トラックバック
2009年8月31日
Go East.
夏も佳境、相変わらず空はぐずつきがちで、あの山もこの山も、計画を立てるやいなや前線がかかり雲が湧いて。
天気図を見れば、まだ8月というのに早や晩秋のような佇まい。
もはや刀折れ矢尽きたかと思ったときに、天気図からの囁きが聞こえてきました。
「こんなプチ冬型な気圧配置なら、東、東だよ。」
登頂

なわけで、いざ東へ。
投稿者 hamayo : 20:55 | コメント (2) | トラックバック
2009年7月 6日
十和田樹海彷徨
今年の北海道の6月は例年になく天候不順で、とくに中旬にいたっては'低温・多雨・寡照'の三悪そろい踏みでした。
どうせ雨に降られるのなら、いっそひと思いに・・・。
梅雨真っ只中の、青森へ行って来ました。
ついこないだ行ったばかりではありますが。
昨年、八甲田に行ったときに見た、美しいブナの二次林。
あの森を歩いてみたいと、ずっと思っていたのです。
下草の少ないきれいな森は、道がなくても容易に分け入っていけます。
緑の大気を泳ぎ、森の奥へ。
・八甲田、ブナ二次林。十和田樹海
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「十和田樹海」とはよく言ったもので、これはまさしく樹の海です。
ほの暗い森の底では、ギンリョウソウが妖美な光を放っていました。
樹海の中をおよそ 4kmほど、文字どおり彷徨い歩きました。
地形図とコンパスはまるで役に立たず、GPSレシーバがあってこその樹海歩きです。
道路へ出てバスを拾い、ふたたび奥入瀬へ。
昨年残した 10kmを歩くために。
この階段の向こうに、あの美しい渓流が。

去年と変わらない、水の風景がありました。

そして十和田湖の直前、そこには奥入瀬の番人が聳え立っていました。
子の口水門(ねのくち・すいもん)です。

このBlogの昨年の記事で奥入瀬について、「人間のささやかなヘルプによって、絶妙のバランスで保たれている」と書きましたが、それはこの水門のことでした。
こうしてぼくは霧に煙る十和田湖の岸辺に立ち、2年越しで奥入瀬スルーハイカーとなったのです。
結果的に、梅雨時に来たのは正解でした。
梅雨空の乏しい光は、普段は影にひそんでいる小さいものをすくい上げてくれるのです。
またいつか、この森を歩きたいと願っていますし、きっとまた来ることになるでしょう。
投稿者 hamayo : 07:31 | コメント (6) | トラックバック
2009年5月27日
黒石から弘前へ
朝4時から開いている共同湯へ行き、今日一日を温泉から始めるのは、ちょっとした贅沢です。
温湯をあとにして、バスに乗って黒石へと戻ります。
藩政時代のアーケードが残る、黒石のこみせ通り。
過去へと続くタイムトンネルです。
弘南線を途中下車し、津軽尾上駅から歩いて20分、盛美館へ。
1階は純和風、その上に洋館が乗っかる奇天烈な建物を、どうしても見ておきたかったのです。

まったくもって、世の中には不思議な建物を建てる不思議な感性の人がいたものです。
見れば見るほど怪異です。
その後、猿賀神社まで足をのばしたものだから、夕方弘前に着くころにはもうクタクタ。
居酒屋で飲んだ地酒は水のように喉を下っていき、店を出るころには足もともフラフラ。
それでも行かなければならない場所がありました。
もうずいぶん前、はじめて弘前を訪ねたときの、なぜか消えない記憶の映像。
それは、なんの変哲もない、夜の駅前の風景でした。

ごくありふれた平凡な写真だけど、とても大事な一枚になりました。
投稿者 hamayo : 22:37 | コメント (2) | トラックバック
2009年5月25日
大鰐線に乗って
最後の日は大鰐線に乗って、車窓をとおして弘前の町をながめるショートトリップへ。
ガタン、ゴトン、キュヒン、キュヒン。
遠い記憶の淵から聞こえてくる音が、少しあとから追いかけてきます。
のどかな春の光、のどかなターミナル。
どこかの駅でおりて、ふらりふらりと歩いていけば、タクシー待ちと間違われ、ラーメン屋の客になる。

他に客のいなかった店内は、いつのまにかご近所さんでいっぱいに。
もうお昼です。
帰らないと。
これで今回の小旅行は終わりです。
電車に乗って、バスに乗って、足で歩いて、町とお近付きになれたいい旅でした。
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2009年5月17日
温湯にて
昨年の八甲田ですっかり湯治宿のファンになってしまいまして、今回はバスに揺られて温湯温泉へ。
これは旅の者にやさしくない運賃表だなぁ。
歴史の重みを身にまとった建物に、今宵の夢を結びます。
昭和のドラマのセットのような風情ただようこの温泉場は、共同湯を中心にして、客舎と呼ばれる湯治宿がそのまわりに点在しています。
内湯を持たない客舎では、湯治客は共同湯へ「通い湯」するのです。
通りを歩く人々の、カランコロンと下駄の音。
開け放たれた共同湯の窓からは、桶の音、水の音にまじって、話し声や笑い声が聞こえてきます。
人ものんびり車ものんびり、ネコも。
だーれも泊まってなかったこの客舎。
ガラス窓には一点の曇りもなく、ていねいに掃かれた三和土の向こうに見える中庭は、とてもきれいに手入れされていました。
人が見てても見てなくても手を抜かない。
美術館には飾られない形の美を見つけました。
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2009年5月16日
黒石へ
あぁ北国のぉ春ぅ~。
なーんにもせず、ぷらりぷらりと歩くだけの小旅行。
黒石はいい町でした。
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2008年8月16日
そしてまた海峡をくぐり
旅は山水、旅は風物。
ちょっとした時間にも、ささやかな出会いはありました。
バスが走る青い森は、若々しいブナの森でした。

八甲田のブナ二次林は、ただ美しいだけでじゃありません。
かつて放牧のため広大に伐採されたブナの山は、一部に残っていたブナの木が再び活動を始め、長い年月をかけていまの美林にまで成長したのです。
ブナの木の一本一本が孤独に生きているのではなく、ブナの森全体が意志を持つひとつの個体であることを、この森はぼくに教えてくれました。
青森のリンゴジュースといえば、「シャイニー」
金も銀も、数多あるリンゴジュースの中で抜きんでた存在でした。
でも今回の旅で飲んだいくつかのジュースの中に、それをはるかに凌ぐ逸品がありました。
原果汁 林檎

まったく勝負になりません。
金・銀が見劣りしてしまいます。
これを飲んだぼくはひと言こういいました。「反則だな」。
決して他のリンゴジュースと並べて売ってはいけない、真の代物です。
いっぱい買って帰ろうと思ったのに、アスパムには置いてませんでした。
ねぶたまで秒読みの青森市街では、あちこちで祭りの準備が行われていました。
夏が頂点をむかえる直前の静けさがありました。
真夏のリンゴ

青森市内は抜けるような青空でしたが、八甲田は分厚い雲の中に隠れていました。
あの美しい森や山や川が、幻のように思えてきます。
本当に大切なものは目には見えないということを示しているかのようです。
汽車が青森駅を出ると、いつものアイツが飛んできました。
ラビナのアラジンは、また来いよと叫んでいます。

そしてまた海峡をくぐり、ぼくは北の大地へと帰って行きました。
この項終わり
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2008年8月14日
奥入瀬渓流
地震の被害に遭っていた奥入瀬川沿いを走る国道102号線が、通行止め解除になったと聞き、奥入瀬渓流を見てみることにしました。
ぼくがふだん旅行をするときは、いわゆる観光地といわれるような場所にはあまり近づきません。
奥入瀬がいくら美しいといっても、ぼくのように山歩きをする人間にとっては、メディアの目に触れない深山幽谷の風致をいくらも見てきているわけで、それほど期待はしていませんでした。
でもその予想は大きく外れます
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結論から言うと奥入瀬渓流は、非の打ちどころがない自然景観の極致でした。
完成した絵画であり、芸術作品です。
これ以上なにか加える必要もないし、消す必要もない。
この景観の前では、ことばはあまりに無力だし、ましてや写真を撮るなど、甚だ低俗な行為のように思えてきます。
どんなに頑張っても今のぼくには、ありきたりの風景しか切り取ることが出来ません。


でも奥入瀬の本当のすばらしさは、部分ではなく、その存在全体にあるのではないかと思います。
目の前にある完璧な風景、ではなく、その風景を生み出す奥入瀬渓流そのものに。

瀬に浮かぶ千の石、苔むした倒木の群れ、銀の魚影が輝く落込み、どこまでも深く緑を映す淵。
それはたしかに美しい光景だけど、そういった「部分」としての風景なら、山奥の川に行けば珍しくない風景です。
そうではなく、完璧な風景がとぎれることなく延々続くさま。
それが数百年ものあいだ変わらずに在ること。
そして人間のささやかなヘルプによって、絶妙のバランスで保たれていること。
それこそが奥入瀬の美しさの本質なのではないだろうか、と思いました。

川沿いの小径を歩いてると、"○○の流れ" などと名前が付いてる場所にクルマでやってきては、写真を撮り、すぐに立ち去る人たちが多いことに驚かされます。
「木を見て森を見ず」ならまだ救いはありますが、「木を見て森を見たつもりになっている」なら、なんとももったいない。
もちろんぼくだって、全体を知るにはまだまだほど遠いです。
全長14kmの 1/4くらいしか歩けていません。
それでも、自分の足で川べりを歩かなければ見えない世界を、少しは感じることが出来たと思います。
歩くことは、とても大切ですね。
投稿者 hamayo : 22:09 | コメント (8) | トラックバック
2008年8月12日
酸ヶ湯温泉で精霊に出会う
今回の酸ヶ湯温泉は、旅館部ではなく、湯治部の部屋を取りました。
湯治部屋だけど、自炊ではなく食事つきです。

湯治部の棟は本館からいちばん離れています。
風呂に入るのにも、食事に行くにも、長い廊下を歩き、階段を下り、さらに長い廊下を歩き、また階段を・・・と、山歩き後の体には結構こたえます。

ヒバ千人風呂は、ヒバの名が示すように総ヒバ造りになっていますが、ヒバのあのかぐわしい匂いよりも、湯が放つ硫化水素の匂いのほうが優っています。
ph1.7~1.8という強酸性の湯は、「興が乗っても20分以上入らぬように」と言われるまでもなく、長湯はできません。
160畳という広さもさることながら、天井の高さこそがこの風呂の独特の雰囲気を生み出す根本だと思います。
三方にある窓が明かりとなって、高い天井へと上がっていく湯気に光を与え、生き物のように見せてくれます。
なんといっても圧巻は、日帰り客がいなくなり、泊まり客も寝静まる深夜におとずれます。
小さな電球が僅かに灯る湯殿は、立ちのぼる湯気が光の勢いを弱め、妖暗の世界を呈します。
湯の流れる音に耳をかたむけ、闇に目が慣れてくると、山の精や森の精たちが静かに湯浴みしている姿が見えてきます。
あたかも湯の神様が、彼らを接待しているかのようです。
早朝ふたたび湯を訪ねてみると、昨夜のたたずまいはあとかたもなく消えており、そこには湯船と人間だけがありました。
湯に当てられて幻影を見ていたような、不思議な夜が酸ヶ湯にはありました。
翌日は・・・
↓↓↓↓↓↓
晴れましたとさ。

投稿者 hamayo : 22:09 | コメント (12) | トラックバック
2008年8月 5日
夜行列車に乗って東北へ
仕事を定時に終わらせ、いつもどおり17時40分に帰宅。
準備は昨日のうちにすべて終わらせてあります。
山歩きもできるようにと、登山靴を履き、山装備を背負って家を出発したのは、20時すぎでした。
往復券を買ったおかげで、JR北海道のパーク&トレインが無料で利用できます。
おかげで汽車旅前のてんやわんやはさほどありませんでした。
登山靴で車を運転しなきゃいけないことを除いては。
こころは時を越え、大阪駅11番ホームにタイムスリップ
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
2200発、札幌発青森行き寝台急行はまなす。

青森往復きっぷでは、このはまなすに限ってはB寝台にも乗れてしまうのです。
太っ腹!。
夜行列車の楽しみは、暗がりに点々と浮かぶ街の灯りや、静まりかえった深夜の駅の風景を、冷たい窓の向こうに見ることです。
空き地で花火をする子供たちや、誰もいないはずのホームを歩く野良犬の姿なんかを見た事が、思いがけず長いあいだ記憶にとどまり続けるのはよくあることです。
なんてことを言いながら、千歳を待たずして熟睡zzz。
新さっぽろまでしか記憶がありません。
嗚呼、、、夜明けの函館湾の風景が・・・
・
・
・
青函トンネルの轟音にも目が覚めることはなく、起きたのは青森到着の直前でした。
窓の外は、非情にも雨・・・。
早くも駅からカッパを着こみ、ご飯を食べるために、6時前の青森の町へ出て行きました。
駅前通の一本裏にあるこの商店街は、なぜかこの時間帯、早朝とは思えぬ賑わいを見せます。

シャッターの閉まった店の軒先で、その店とはまるで関係のない、木の実や山菜、不揃いな野菜や自分で育てた花などが、新聞紙やリンゴ箱の上に置かれ売られています。
駅前からも、幹線道路からも見えない細長い通りに、街が目を覚ます前のこの時間にだけ現れる不思議な空間。
たぶん閉じているシャッターが開く前に、姿を消してしまうのかな。
どことなくイリーガルな匂いのするこの場所は、こんな朝早い時間に駅前を散歩しないかぎり、旅行者の目に留まることはまずないでしょう。
この通りにあったよさげな名前の食堂。

名前のフィーリングだけでアタックしてみたくなったものの、残念ながら軒先の店とちがって、その貸主の方は当然ながらまだ開店前。
ということで、駅前のビルの地下に広がっている市場へと出向きます。
こちらも市場だけに、朝早くから開いてるのです。
Augaという商業ビルの地下にあるこの市場。
薄暗い照明、無辺とも思える二次元的広がりと地下特有の閉塞感、湿った空気、雑多な物音、匂い、色。
本州の北の果てにありながら、アジアの低緯度地域の市場ような雰囲気に目がくらみます。
Pantoneキャンディ?

食堂と店が裏表で一緒になったカウンターで朝食を食べます。
観光地にありがちな三色丼や五色丼もお約束としてありますが、市場の人がフツーに食べてそうな焼き魚定食にしました。
といっても観光客向けではないらしく、システムが分からずマゴマゴしていると、となりにいたご婦人が親切に説明してくれました。
「イカが600円、シャケが700円、
左に行くほど高くなるよ」
ぼくはシャケにしました。
いちばん大きかったから、という理由で。
ごはんも大盛、シャケもジャンボ、700円でお腹いっぱい大満足です。
他の人の茶碗を見ていると、ごはんの量は人それぞれ違います。
たぶん人を見てごはんの量を変えてくれてるのでしょう。
やっぱ魚屋の市場メシはおいしーわい、って裏の店の方に行ってびっくり。
「肉のナリタ」
魚屋ちゃうがな・・・。
煮込んだ牛スジなんかの肉系お総菜がいっぱいあったことには気づいてたんだけど、魚屋さんだと思い込んでたからなぁ・・・。
次に来たときには、必ずや肉系のおかずで定食を作ってもらうゾと心に誓い、雨音激しい地上へと階段を上がっていきました。
さてこれからどうするか。
やっぱり八甲田の山を歩いてみるか。
どうせ外を歩けば、山でも里でも濡れることには変わらないし。
青森からは、JRバス東北の「みずうみ号」に乗ります。
青森駅から十和田湖駅まで、2時間45分かけて走るこのバスは途中、八甲田山の登山口となるロープウェイ駅前を通り、城ヶ倉温泉、酸ケ湯温泉、猿倉温泉、谷地温泉、蔦温泉と、八甲田山中に点在する温泉宿を縫うように走り、十和田湖温泉から先は、国の特別名勝に指定されている奥入瀬渓流に沿って十和田湖をめざします。
ただこの当日は、7月24日の岩手・青森地震の影響で、奥入瀬渓流沿いの国道102号線が通行止めになっており、迂回運行とのことでした。
青森市内を抜けたバスは、八甲田山へ向けてまっすぐ南へと走ります。
モヤヒルズという、不思議なサウンドの地をすぎると、バスは曲がりくねった山道に入っていき、途中「かやの茶屋」で休憩となります。
The アオモリアン・ジョーク.
たぶん、同じジョークは世界中にあると思われ。

こーゆーのにツッコミを入れるようになると、もはや後戻りできない中年街道まっしぐらですな。
「かやの茶屋」を出ると、いよいよ雨脚強く、バスは完全に雲の中を走るようになりました。
視程は100mを切っているというのに、さすがは冬の地吹雪で鍛えられた青森のバス運転手、何食わぬ顔で右に左にとハンドルを切って登っていきます。
バスの中では、要所要所でテープによるガイドが流れ、バス旅気分を盛り上げようとしてくれます。
それは分かるのですが、
「岩木山展望所からのパノラマを・・・」
「眼下に見える青森市の・・・」
「二つの半島の向こうに北海道が・・・」
「国内屈指の山岳景観をお楽しみ・・・」
って、、、ずいぶんシャレの利いたテープを流してくれるじゃないか、こんな日に。
やがてバスは、時間どおりロープウェイ駅に着きました。
ハァ・・・、降りなきゃならないんですね。
1時間もバスに揺られてると決意も揺らぎますが、意を決してバスを降り、ロープウェイの駅に走りこみました。
雨はしとしとと降っています。
投稿者 hamayo : 20:42 | コメント (8) | トラックバック
2008年7月28日
十勝の縦走やーめた
やっぱ夏の高山はドピーカンでないとな。
いくら地上天気図が晴れでも、この南風じゃ十勝は期待薄・・・。
旭岳方面はほぼ間違いなく晴れるだろうけど。
切符がたくさんあるとワクワクします。
平日なだけに、直前でも寝台が取れちゃいました。

なわけで予定変更。
雨でも少しは楽しめそうな、戻り梅雨の内地にちょいと湯浴みに行って来まっす!
投稿者 hamayo : 19:22 | コメント (8) | トラックバック
2008年6月 8日
奥沢水源地 一般開放
奥沢水源地の水管橋、年に一度の一般開放ということで、曇り空からポツポツと雨が落ちる中、「アノ滝」を見てまいりました。
アノ滝
↓↓↓↓↓↓
「アノ滝」、かま栄 Falls です

たしかにCMと同じだ。
ちなみに今年からは、11月3日まで一般開放されるそうです。
でもこの先のダムまで行けるのは、やっぱり今だけ。
ダムまでの80段階段の上では、マムシ君ボードがお出迎え。

水源地にうかぶ欧風の小屋が、今日のしっとりとした空気にマッチしています。

水面にはたくさんのカモメがただよっていました。
水源地にカモメがいるというのが、なんとも小樽らしい風景です。
こんなに市街地に近い水源地なのに、おどろくほど透明度が高い奥沢水源地。
こういう水だからこそ緩速ろ過方式が使え、そのおかげで急速ろ過では味わえないおいしい水が生まれるそうです。
どおりでコーヒーや紅茶が美味いわけだ。
ただの水道水を、カルキを抜いただけでペットボトルに詰めて販売すると言い出したときは、ついに小樽市の財政もそこまで来てしまったのかと思ったものですが、これほどの水なら確かに商売になりそうです。
小樽市民で良かったわいと思える、いい一日でした。
投稿者 hamayo : 21:56 | コメント (4) | トラックバック
2007年9月 4日
いろいろ暑かった大相撲巡業
4年連続で前年の平均気温を上回り、なおかつ寡雨で多照だった今年の北海道の夏も遠い過去のできごとのように、最近は朝晩と寒くなってきました。
ということで、真夏にはちょっと出しづらかったけど、もうそろそろイイかな(笑)。
今夏は夏休みを取らなかったのですが、8月の12日に、大相撲の巡業を見にいってきました。
場所は月寒グリーンドーム。
共進会場と言ったほうが通りがいいかも。
この日の札幌は、最高気温 34.0度、日照時間 11.5時間を記録し、まさに夏の極みを思わせる天候。
このグリーンドーム、エアコンがないせいで、日が高くなるにつれて内部の気温はグングン上昇していきました。
でもドームの中の気温が異常なまでに上がったのは、自然の気象現象のせいだけじゃありません。
彼らが自らの熱で温度を上げていたのです。

世間を騒がせた朝青龍はもちろん不参加ですが、そのぶん新横綱の白鵬が目一杯みんなの歓声を浴びていました。
横綱土俵入り。土佐犬みたい。

でもぼくのお気に入りの力士は、もっともっと、ずっとずっと下位の力士です。
じゃーん。彼の名は「白乃波」。

ぼくはひそかに「落武者力士」と呼んでいます。
勝っても負けても顔色を変えない力士が多い中、彼のその俳優ばりの豊かな表情からは、人間くささのようなものうかがえて好感が持てます。
鼻血が。。。

落武者力士の真骨頂。

勝っても負けても、髷はぐしゃぐしゃ。

普段は見られない朝稽古なんかも見もの(というか巡業の場合、取り組みよりも稽古のほうが真剣にやってるように見える・・・)ではありますが、巡業でしか見られない「初切」や「相撲甚句」こそが巡業の花ともいえるでしょう。
ある意味カラオケ大会。

甚句の時に限らず、北桜はそこらじゅうで何十回とピースしまくってました。
結びの一番は、白鵬-千代大海 の取り組みでした。
千代大海は、九州場所以外ではあまり歓声も沸かないし、その九州場所でも魁皇のほうが圧倒的に人気が高く、いつもテレビで見ていてかわいそうになってきます。
今回の白鵬戦では、白鵬の調子が悪かったのかぐいぐい押していって、あーこりゃ千代大海が勝っちゃうなぁ、って所までいったのですが、やはり巡業ということもあってか、バレバレの演技で最後は負けました。
しかし見ているぼくらも暑かったけど、力士たちもかなり暑くてまいってました。
国技館の土俵はエアコンがきいてて、快適な室温で相撲が取れるらしいので、夏の甲子園ばりの室温で相撲を取るのはさぞ大変だったでしょう。
せっかく北海道まで来て、国技館より暑かったなんて、ほんとお疲れ様でした。
投稿者 hamayo : 22:27 | コメント (6) | トラックバック
2007年8月23日
釣りのあとは過密スケジュールで食い倒れ
早朝2時半に起きて、おにぎり2個と菓子パン1個しか食べてない。
それでいて6時間以上の渓流釣りで、ぼくらはもうハンガーノックを越えて、タンパク質までが分解されるまでの極限のハラペコ状態。
釣りの最中は天候もまずまずだったのに、やはりというかなんというか、ぼくら二人で行動してるんだから雨が降らないわけがない。
川から上がると霧雨が降ってきて、お肉じゅぅじゅぅは里まで下りて橋の下で催すことになりました。
ファームhamayoの夏野菜

家で食う分を収穫したあとだったので、ミニ野菜大集合です。
閉店直前だったとのことで、選択肢がない肉屋でJ君が買ってきたガツ。
これが激烈に美味い!。

そしてメインのジンギスカンへ。
直火だと強い火力の炭火も、フライパンごしだと熱が伝わりにくい様子。
なので今回は、網上での炭火焼きと同時進行で進めることに。
2バーナー的ジンギスカンの七変化をどんぞ。
1,ピーターラビット成吉

2,神戸牛ステーキ風網焼き成吉

3,広島風成吉(ノンおたふくソース)

4,落としぶた札幌ドーム風成吉

5,本家は50%が脂肪のビッグマック成吉

6,最後は3バーナー成吉

あれ、六変化ぶんしか写真ないや。
とにかく恐ろしいまでの空腹で、ぼくらの胃袋はブラックホールのようになっていたはず。
手の届くところにある食材は、すべてシュヴァルツシルト半径に入ってたのに、フライパン越しの炭火の弱さに完全におあずけを食らって、その結果としての創意工夫がこんなヘンテコなジンギスカンを生んでしまいました。
ハラ6分目で満たされたあとは温泉へ。
2時間かけて体をもみほぐし、たっぷり汗を掻いたらハラ3分目。
とある理由(永遠にナイショにする予定だったのに・・・)で釣具屋へ寄ってから、釣具屋のそばにある大衆イタメシ屋的雰囲気のセレーノで晩御飯です。
ジンギスカン食って3時間しか経ってないけどね。
ぼくは海老と牡蠣のペペロンチーノ。
J君はなんかのホワイトソース。
ほんでもってなんかカルパッチョを頼みました。
自分の頼んだ料理しか覚えてない・・・。

気取ったイタリア料理店じゃなく、あくまで大衆イタメシ屋なので、ボリュームがすげぇ。
ここにきてようやくハラ8分目まで充填。
時刻は21時。
朝2時半からの長いながい夏の一日は、ようやくフィナーレを迎えました。

投稿者 hamayo : 07:51 | コメント (4) | トラックバック
2007年3月22日
雪秩父で春雪、いや浚渫作業
山を下り、さぁどこの温泉にいくべかと相談。
なんせニセコはそこいら中に湯が湧いている。
選びたい放題なのだ。
でもまてよ。
目の前に雪秩父があるじゃないの。

雪秩父にくるのは 13年ぶり。
むせかえるほどの硫黄臭と、蓮根畑のように堆積した泥で有名な温泉です。
以前の露天風呂は男湯と女湯がつながっていて、湯も泥で濁っているため、学生時代はクラブでやって来て、男も女もみんな一緒に浸かったりしたものです。
改装後は露天は完全に分けられて、湯船も男湯は5つに増えていました。
くるぶしまで埋まる灰色のねっとりした泥湯は健在です。
この泥を塗ると、肌がもうスベスベのツルツルになり、その効果はしばらく続きます。
なんせこれを書いている今だって、もう3日もたってるのにスベスベ効果が持続中。
しかもその後シャワーを浴びても、いまだに硫黄臭がほんわかとただようくらいなのです。
泥パック。
ナゾの歌を口ずさむJ君の声が・・・。

まー言わずもがなだけど、いちばんスベスベになったのは、尻の周りですわな・・・。
だけど顔面パックは要注意。
帰り道目が痛くて痛くて、涙が止まらなくなりました。
3時間以上の長湯でしたが、全般的に湯温が低めなので体への負担は少なそうです。
湯から上がったら17時。
J君おすすめの「広州屋台」へ。
見た感じはよくあるロードサイドのありふれたレストラン、ってな風情なのに、出てくる料理のうまさは絶品なのです。
回鍋肉!

蟹チャーハン!!

酢豚!!!

韮饅頭!!!!

中国人シェフが作る中華料理とはちがい、日本人が日本人のために作った中華料理といった感じで、どれもがまったく完璧に調和のとれたお味でした。
とりわけ酢豚に使われている肉は、一かけがとてもボリュームのある肉で、臭みが全くなくしかもとんでもなくジューシー。
上品な甘酸っぱさは、黒酢を使っているように思いました。
回鍋肉のお肉も厚みがたっぷりあって、味だけでなく食べ応えも抜群の店でした。
いっぱい遊んで、たらふく食って、「次はキャンプやな」ということで今日はおしまい。
J君は真狩方面へ、ぼくは倶知安方面へ。
倶知安市内へと入る手前で、夕闇を切り裂くようにヒラフのスキー場が輝いているのを見て、涙が出てきました。

感傷的になったんじゃなくて、泥パックのせいでめっさ目が滲みて痛いんですわ。
投稿者 hamayo : 07:38 | コメント (4) | トラックバック
2006年11月26日
小春日
移動性の高気圧に覆われた週末、ポカポカ陽気に誘われて塩谷の浜へ。
久しぶりの陽光、風のない砂浜。
黄色い空気と青い空気が、慎重に調合されたドレッシングのようにきれいに融けあい、小春日和の風景。
GFSで今週後半(次の週末)に降りてくると予想されている寒気は、西日本の山沿いで雪が降ってもおかしくない強さのものです。
こんな穏やかな休日もこれでおしまいかな。
投稿者 hamayo : 22:43 | コメント (6) | トラックバック
2006年10月 4日
最北の鉄路、宗谷本線 (おまけ)
帰り道、国道40号線をのんびりと走っていると、踏切が鳴る音が聞こえたので、線路がある方へ降りていってみました。
道路から少し上がった高台の上に、豊清水駅がありました。

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今までみてきたようなものと違って、わりと立派な駅舎ではありますが、やはりそこに人影はなく、むしろ「人の匂いはすれど姿は無し」といった風景が、いっそう寂しさを助長しているようでした。
壊れた温度計。
-30度までじゃ足らないだろうに。

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駅の階段を下りて見える風景は、寂しさを越え 死をも想像させるものでした。

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バスの停留所が、今も使われているのかどうかは分かりません。
かつて人がいたころなら、駅前に牧場がある風景は、北海道を象徴する景色として多くの観光客の目を楽しませてくれたでしょう。
今はただ、骨だけになった牛舎があるのみです。
そんな豊清水駅ですが、駅へ上がる階段とは離れた場所にあるスロープに、鉄道利用者のものと思われる自転車がありました。

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生命の痕跡を見つけたようで、少しほっとしました。
今後たとえ利用者がいなくなっても、豊清水駅には重要な役割があります。
特急も走る宗谷本線は、新旭川駅以北はすべて単線のため、上下の列車を交換する場所が必要になります。
島式1面2線ホームを持つこの駅は、美深~音威子府間で唯一の交換駅なのです。

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ただ駅前の光景を見てしまうと、このままでは将来は信号所に格下げされるかもしれないな、と思ってしまいます。
今年3月にも、智東、南下沼の2つの駅が廃止されました。
最北の鉄路を取り巻く状況はなかなか厳しいですが、たとえば日進駅のように、近くにユースホステルが出来たおかげで、飛躍的に乗降客が増えたというようなケースもありますので、何かちょっとしたきっかけがあれば、活気を取り戻せる可能性はあると思います。
3年後か、5年後か、次はいつ来られるか分かりませんが、もう少し人の匂いがする宗谷本線になっていたらいいな。
おしまい。
投稿者 hamayo : 20:38 | コメント (0) | トラックバック
2006年10月 3日
最北の鉄路、宗谷本線 (3)
サロベツ原野は釧路湿原と並ぶ広大な湿原です。
そのため気温の下がる日の出前は、辺りいちめん霧の海に沈みます。
夜明けともに霧は気体となって消えていきますが、霧が濡らした草や木が、しっとりとした風景を見せてくれます。

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静かな朝、ガタンゴトンという列車の音が、いくつもの丘を越えて聞こえてきます。
ダイヤを見ても、ここに来るのはまだ何分も後なのに、遠くの方からそれは聞こえてきます。
そして一番列車が、まだ霧の残る森境を駆け抜けます。

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汽車を待つ抜海駅に、人の気配はありません。
夜が明けるのを、じっと待っています。
待ちこがれた朝日が駅舎を照らします。

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そして汽車もやってきました。
乗る人もいなければ、降りる人もいません。
古い窓ガラスが日光をやわらかく通し、無人の待合室を暖めていました。

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宗谷本線はこのあと海岸線に出て、間近に利尻島を望む抜海~南稚内は、本線随一の車窓風景が広がります。
そして南稚内をすぎると、最北のターミナル稚内駅に到着します。
残念ながら今回のぼくの旅は、抜海駅を終着とし、引き返すことにしました。
本線と名がつくものの、列車本数がとても少ない宗谷本線の北の端では、朝の良い光と列車とを同時に捕まえられるチャンスは、一度か二度しかないからです。
さらにいえば、利尻島の島影を見られる機会も、それほど多くはないようです。
いつになるか分からないけど、それは次回の楽しみに取っておきたいと思います。
投稿者 hamayo : 22:06 | コメント (2) | トラックバック
2006年10月 2日
最北の鉄路、宗谷本線 (2)
士別町からずっと、右に左にと寄り添ってきた天塩川と宗谷本線。
流れを90度西に向ける天塩川とは、幌延でお別れ。
鉄路はさらに北を目指します。
深い森林を抜け出た汽車は、サロベツ原野の酪農地帯を走ります。

夕暮れ間近、下沼駅は、パンケトーへの入り口。

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「パンケ」と「ペンケ」は、北海道でよく見かける地名です。
パンケは「下」、ペンケは「上」を表し、トーは「沼」を表すアイヌ語です。
つまり下沼駅は、パンケトーをそのまま訳した駅名なんです。
そしてパンケ沼は、学生時代の野宿の思い出の場所。
今夜はここで寝ることにしよう。

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秋の陽はつるべ落とし。
茜色の空が汽車を染めます。

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やがて夜が落ちてきて、今日の日はさようなら。

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時間は回送列車とともにここを離れ、
水たまりは無音の闇を映します。

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パンケ沼のほとりにある野鳥観察小屋を、ちょいと失敬して今夜の宿。
遅い夕食、人口密度 0.1 の夜。

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せまい小屋の中にランタンのゴォーという燃焼音が響きます。
ひとりの夜にはとても心強い。
ランタンを消してシュラフにもぐり込むと、一瞬にして暗闇と沈黙が支配する世界が訪れます。
窓の外からときおり聞こえてくる水鳥の羽音が、かろうじてぼくをこの世界につなぎ止めてくれているようで、どんな鳥なんだろうかと想像していたら、いつの間にか眠っていました。
投稿者 hamayo : 20:05 | コメント (3) | トラックバック
2006年10月 1日
最北の鉄路、宗谷本線 (1)
9月後半の連休、道南方面、おもに八雲周辺へ行く計画を立てていたんだけど、前夜の天気図をみて急遽道北行きに変更。
1週間かけて練り上げた計画はぜんぶパァになったものの、これも一つの運命。
とりえず北へ。
道央道は着々と延線され、いまや小樽から士別剣淵ICまでハイウェイで走れます。
時代は変わりました。
士別というと一般的にはもう道北エリアですが、まだまだ旭川の経済圏ですし、このさき名寄や美深といった都市があるので、気分としては「道北に来たなぁ」という感じは薄いです。
感覚的にも、地勢的にも、音威子府をすぎた辺りから、いよいよ道北の雰囲気が濃くなってきます。
鮮烈な青を映しつつ、大森林の間を縫って流れる天塩川。
北海道3大河川のなかで最も野性的な川です。

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天塩川に架かる橋を渡ると、宗谷本線 筬島駅、あたりは見渡すかぎり、森と山。

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駅のノートには、多くの旅人たちの思いが綴られていました。

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「これから森に入ります」
汽車であれ、車であれ、徒歩であれ、ここよりさらに北へ向かう旅人の、強い気持ちがこめられた言葉です。
列車が陽炎に揺らぐくらい、日差しにはまだ夏の勢いが残るものの、落ちる影は黒く長く。
ぐずぐすしてると秋の陽は短い。

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そしてぼくも、筬島駅をあとにして、北へ向かいます。
投稿者 hamayo : 13:21 | コメント (4) | トラックバック
2006年9月 1日
真鍋庭園
先週末は帯広へ出掛けてきました。
帯広には、2つの庭園を訪ねるためにやってきました。
ひとつは「真鍋庭園」です。
『真鍋庭園』
http://www.manabegarden.jp/
針葉樹の林の切れ間に、小さな 「Cafe」の看板。
ここが入り口です。
日本初のコニファーガーデン(針葉樹庭園)で、だだっ広い十勝の大平原の真ん中にありながら、園内は起伏に富んでおり、丘や崖、滝や池といった地形が、あたかも自然にそこにあったかのように、丁寧にこしらえられています。
広大な敷地にいろいろな種類の針葉樹が文字通り林立する庭園は、北海道ならでは、それも十勝地方の土と気候でなければ実現できないかもしれない、貴重な空間です。
木から木へ、梢から梢へ、目にも止まらぬ速さで、小動物が走り抜けていきます。
ふと高い木を見上げると、その正体はエゾリスでした。

山あり谷ありの園内をゆっくり一回りすると、2時間近くかかります。
これだけ歩くと、晩夏といえど汗ばむほどですが、あちこちに水辺があって、森の中には涼しい空気の流れが作られます。

帯広は北海道の中でもぼくが好きな町のひとつです。
これでまた帯広が好きになってしまいました。
ちなみにもうひとつの庭園は、帯広の南にある中札内にあります。
だけど、ちょっとぼくの好みには合わなかったので、今回は紹介しないことにします。
そうそう・・・・
・・・帯広での晩御飯は、何といっても「豚丼」です。

これを食べると、帯広に来たなぁ~、と実感することになるのです。
投稿者 hamayo : 21:31 | コメント (4) | トラックバック
2006年7月30日
夏本番、おたる潮祭り・・・には行かず
昨年は「潮ねりこみ」を見物に行きましたが、今年はお仕事だったので夕方から出掛ける予定でした。
でも混雑がひどかったので、生協で買い物をして、祭り会場には行かずに帰ってきました。
ほぼ一ヶ月、あちこちの通りにぶら下げられら提灯も、今夜で見納め。
買い物の帰りに、夏の思い出、提灯をパチリパチリ。

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家に帰って、晩御飯を食べてたら、花火の打ち上げられる音が、ド~~ン、ド~~ン、と響いてきます。
玄関のほうを見ると、なんと花火が見えるじゃありませんか。
昨年はわざわざ、花火が見えやすい場所をさがして見物しましたが、いやはや自宅からバッチリ見えてたんですね。
屋根に上がって、夏の思い出、花火をパチリパチリ。

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花火の音が鳴りやむと、チリチリチリと虫の声。
晴れ渡った空から夜露が降りてきて、肌がひんやり。
もうじき立秋です。
投稿者 hamayo : 23:05 | コメント (2) | トラックバック
2006年7月17日
夏の始まり、住吉神社例大祭
小樽に夏の訪れを告げる、住吉神社例大祭(通称、小樽祭り)。
最終日の昨日、出向いて参りました。
といっても、名物の「百貫神輿」目当てではなく、単にお祭りの雰囲気を味わいに、です。
住吉神社例大祭は、6月中旬の「水天宮例大祭」、6月下旬の「竜宮神社例大祭」とならんで、小樽三大祭りとされていますが、社格的にも規模的にも、住吉神社のお祭りが最も盛大です。
祭り囃子は軽トラに乗って。
軽トラでまわるなんて風情台無しですが、コレ北海道だけなのかなぁ。。。

あの坂を登り切ると、参道へと続く道に出ます。
やっぱり小樽は坂の町ですね。

鳥居前の民家の紫陽花。
今年の紫陽花は、ちょっと早咲きかな。

第一鳥居周辺は大賑わいです。
明日からはまた、もとの静かな参道に戻ります。

住吉さんのお祭りは、この提灯櫓が目印です。
袋詰めされた綿菓子を、ついに買ってもらえなかったあのころのぼくを思い出しました。

住吉神社例大祭が終わると、小樽の夏の頂 「潮まつり」めがけて、町はいよいよ最高潮に盛り上がっていきます。
【このエントリは、この記事を参照しています】
DJの徒然なるままに:「宵々山」
http://dj1.seesaa.net/article/20913206.html
小樽風景工房日記:「住吉神社 小樽祭り 宵宮」
http://koubouruka.exblog.jp/3387276
投稿者 hamayo : 20:22 | コメント (8) | トラックバック
2006年2月12日
小樽雪あかりの路
いよいよ始まりました。
小樽の冬を彩るイベント、小樽雪あかりの路。
今年でまだ8回目のイベントです。
市民の手と手でさばききれる、地方都市としてはちょうどいい大きさのイベントですが、この週末はさっぽろ雪まつりの最終日と重なるため、小樽雪あかりの路もただならぬ人出となりました。
運河会場はバーゲン並みの混雑だったので、国鉄旧手宮線跡会場に出掛けてみました。
薄命時がいちばん美しいです。

廃線跡だけあって、線路の幅+αくらいの通路です

よく目をこらすと、模様が入っているキャンドルがあります

ワンワン!

運河会場と手宮線跡会場は、どちらもメイン会場といえる場所ですが、期間中小樽市内はそこかしこでスノーキャンドルが灯されます。
住宅街の交差点でも、居酒屋の軒先でも、バス待ちの停留所でも、いま自分がいる場所、そこが雪あかりの路になります。
冬の小樽にお越しの際は、ぜひ雪あかりの路を散歩してみてください。
投稿者 hamayo : 22:01 | コメント (8) | トラックバック
2006年1月22日
冬の浜辺
大寒をすぎて、春を探しに海へ出掛けました。
でもそこは 100%真冬、サーモグラフィーで見たら真っ青に映るであろう、極寒のビーチでした。
かつては、夏になると日本一の月間売り上げを出すセブンイレブンがあった、蘭島の浜辺です。
膝までの雪が積もり、人っ子ひとりいません。

余市のシリパ岬。
北海道の西海岸は、ノルウェーばりの急峻な崖が特徴です。

生命の痕跡。
カモメの足跡。

内地では梅が咲いたり、狼狽がほころんだりしているようだけど、こちらはまだまだ冬の頂への坂の途中です。
でも春の兆しは見えなくても、続く節気はどれも春を連想させるものばかりです。
立春、雨水、啓蟄・・・。
太陽に感謝しつつ、あと少し、あと少し。
投稿者 hamayo : 22:00 | コメント (2) | トラックバック
2005年10月16日
紅葉狩りに行く
天気がいいので紅葉狩りに。
朝里峠方面は、町から見ても山がまっ赤っかなので、道も山も混んでると踏んで、赤岩山へ行きました。
北海道の人は、歩かないと行けない場所を嫌う傾向にあるので、小樽海岸自然探勝路 のような場所は、静かに紅葉狩りをするにはもってこいです。
今回は、赤岩峠に車を停めて、下赤岩山方面を歩くことにしました。
ここから登ると、15分で下赤岩山まで行けます。
天気がよいせいか、峠には10数台の車がいました。
赤岩山は小樽近郊でのロッククライミングのメッカですので、クライマーもたくさん入山されているのでしょう。
5分も登れば、すぐに尾根筋に出ます。
尾根というか、崖っぷちです。
海からそそり立っている岩壁なので、谷を吹き上がってくる風は強く、また猛烈に冷たいです

よく見ると、クライマーがへばりついています。
落ちないでネ。

海岸を見下ろせるテラスで、セイコーマートのおにぎりを食べました。
関係ないけど、ファミリーマートが北海道に上陸するそうで・・・。
テラスからの眺めです。
こんな海岸で野宿したいものです。

山頂テラスの近くには、岩塔に行くための道がありましたが、装備も心構えもやる気もヘナヘナだったので、今回はやめました。
このロープとハシゴは、信頼しても良いものなのでしょうか?。

全体的に風が強いので、紅葉すると即 葉っぱが吹き飛ばされるのか、全山が色づくというような感じではありませんでした。
一部の紅葉と海とのコントラストを楽しむには、とても素晴らしい場所だと思います。
投稿者 hamayo : 22:45 | コメント (9) | トラックバック
2005年10月13日
こりゃ便利。スマートeチケット
ちょっくらカンサイ方面に出掛けてました。
実家のある神戸ですが。
船、自動車、バイク、鉄道、自転車と、今までさまざまな交通手段を使って帰省してきましたが、飛行機を使ったのは今回が初めてです。
飛行機じたい、乗るのも2年ぶりです。
そしてこの2年で、インターネットは成熟が進んできました。
「便利至極」とはまさにこのことでしょうか。
チケットの手配に関わるすべての作業が、手のひらの中で完結してしまうことに驚きました。
携帯電話としては、NTT DoCoMo の やや古いFOMA端末をメインに使用しています。
このFOMA端末で、「空席照会」、「チケットの予約」、「支払い」、「座席指定」、「チェックイン」、「チケットの受け取り」、のすべてが行えるのです。
『ANA国内線 - 携帯サイトANA SKY MOBILEのご案内』
http://www.ana.co.jp/dom/nav/mov-ij.html
行列に並ばなくても、ケータイを機械にかざすだけで、すぐにチケットが出てきます。
預ける手荷物がない旅行なら、出発直前に空港に着いても、ほぼノンストップで座席まで直行です。
座席指定は何度でもトライできるので、旅行会社などがおさえている席が解放されるのを待って、よりいい席に変更することも出来ます。
今回も、前日までは空席をさがすのが困難なくらい席は埋まっていましたが、出発直前になると 100席近くが解放され、選びたい放題でした。
そしてもうひとつ驚いたことは、このサービスを利用しているお客さんが、かなり多くいるということです。
自動発券機は空港内のいたるところに設置されており、それはJRの駅構内にもたくさんありました。
大勢の人が この機械にケータイをかざし、チケットを受け取っていくさまは、「未来の乗り物」の絵本にも描かれていない、空想を越えたウソ臭ささえただよう光景でした。
このような便利なサービスがユーザーに受け入れられ、瞬く間に広まったのは、「飛行機」だったから、とういうこともあると思います。
その便では出発地と到着地はみな同じであり、到着地の数も多くなく、一日の便数もそれほど多くない飛行機では、システムはそれほど複雑にはならなくて済むのだと思います。
無数の駅と路線があり、数多くの割引や特別なチケットがある鉄道では、そう簡単にはいかないでしょう。
簡単にはいかないだろうけど、近い将来これと同じようなシステムはたぶん出来上がるのでしょうね。
そうなったとき、「往復割引より一筆書きチケット」とか、「101km以上を買って途中下車有効」みたいなやり方は、通用するのかなぁ。
緑の窓口で、ペラ紙に手書きで、○○線~××駅経由~△△線 みたいに書いてチケットを買うのも、これはこれで旅の一つの楽しみでもあるわけで、もし将来 手のひらで完結するチケット手配システムが広く一般に行き渡ったとしても、残しておいて欲しいなぁと思います。
投稿者 hamayo : 22:19 | コメント (3) | トラックバック
2005年9月24日
なんと綺麗なクジャクチョウ
あてもなく日高の方に、ドライブに出掛けました。
前回の浮島湿原につづいて、またも高速道路を使います。
新しい地図に書いてあるとおり、道央道からシームレスに日高自動車道に接続でき、沼ノ端東~鵡川までは無料でした。
鵡川からは、本線と名が付けども一日5~6往復しか汽車が走らない日高本線に沿って、海を見ながら南へ南へ。

北海道はいま、ノコンギクの季節です。
あちらこちらで紫色の花が風にゆれています。
こんなところにも

車じゃなくて、汽車に乗ってくれば良かったなぁ。
汽車が羨ましい。。。

難しいことは分からないけど、ノコンギクの周りにはタテハチョウがいっぱいいます。
なかでもクジャクチョウの美しさには、ほれぼれするものがあります。

でもこのクジャクチョウ、羽の裏側(どっちが裏か知らないけど)は、すっごく地味です。

豊郷駅ちかくで、日高本線が砂浜を走るところあたりでは、ノコンギクの大群落に数十匹のクジャクチョウが飛び回り、天国のようでした。
汽車が通るとびっくりした蝶が、一斉に舞い上がります。
写真じゃほとんど見えないけど、CCDのゴミのように見える黒い点は、すべてクジャクチョウです。

今回の日高地方は、夏みたいな海霧があたりに立ちこめて、ちょっと写真日和ではなかったけれど、チャンスがあればまた行ってみたい場所です。
投稿者 hamayo : 20:27 | コメント (6) | トラックバック
2005年8月28日
浮島湿原 -トンボ王国-
お盆が終わり、短い停車時間だった夏を出ると、北海道は秋へ向かって一気に走り始めます。
小樽ではまだセミが鳴いていますが、ひとあし早い秋を探しに、上川の浮島湿原に行ってきました。
浮島湿原は、国道273号の旧街道沿いから、緩やかな山道を20分ほど歩いたところにある高層湿原で、国道273号の浮島トンネルの上にあります。

湿原までの山道は、歩きやすいようにとの配慮から、間伐材のチップが敷き詰められていて、歩きにくいこと この上ないです。

昨年の台風で倒された木々が多く、朽ちた断面からキノコが生えてきているものもあります。
これはキホウキタケでしょうか。

湿原はトンボ王国でした。
静寂に包まれた湿原では、トンボの羽音がとても大きく聞こえます。
一瞬ギンヤンマのように見えたのは、オオルリボシヤンマかと思われます。

人が近寄っても、必要以上に距離を置こうとはせず、様子をうかがうようにホバリングをします。
この日は風もなく、ヤンマの羽によって引き起こされた乱流で、水面には小さな波紋が広がります。
産卵の時期のようで、メスはみなお風呂にはいるかのようなポーズ。
下半身を池に沈めていました。

目をこらすとアオイトトンボと思しき姿も。
小さな羽と細い体。
南方の甲虫を思わせる金属光沢の輝きは、湿原の宝石です。

木道のあちらこちらでは、赤とんぼも羽を休めています。

草木はまだ青々としていても、水草はもう黄色に色づき、夏から秋へのうつろいをしっかりと感じ取ることができます。

帰り道、頭上に何か気配を感じました。
見上げると、そこにいたのはクマゲラでした。

アカゲラは都市部の森でも しばしば目にすることができますが、クマゲラを見たのは初めてです。
キツツキとしてはかなり大型です。
どんな動物でも、ある一定の大きさを越えると、ちょっとした恐怖を感じます。
ましてやそれが、原始の森での出来事だとしたら、こちらも同じ動物として、自分の身を守らなくてはと身構えてしまいます。
鳥の仲間としては、このクマゲラの大きさは、ぼくをびびらせるのに十分なものでした。
結局この浮島湿原では、一人の男性としかすれ違いませんでした。
中高年者のトレッキング人気は、いまだ衰えることを知りませんが、ここ浮島湿原のウィルダネスは、彼らの嗅覚にはまだ捉えられていないようです。
旭川紋別自動車道が開通すると、国道273号を通る車はますます数を減らすでしょう。
そうなると浮島湿原もいつしか忘れ去られ、再び原初の自然へと帰っていくのかもしれません。
投稿者 hamayo : 22:40 | コメント (2) | トラックバック
2005年8月14日
お盆・船・カモメ来襲
短いぼくの夏休み、でもお盆はどこもコミコミです。
もとよりわざわざこの時期に遠出しようなどとはまったく考えていませんが、小樽の町は大都市札幌から見れば「安・近・短」な場所でして、小樽市民にとっては外に出ても出なくても混雑に巻き込まれてしまうのです。
そこで目を付けたのが小樽海岸海上観光船。
観光客・市民を問わず、この大観光都市小樽における知名度の低さはかなりのものです。
ルートは二つあって、小樽水族館への足として使われる祝津港止まりの祝津航路と、その先のオタモイ岬周辺をクルーズして帰ってくるオタモイ航路です。
当然ここは、乗船時間2時間弱のオタモイ航路を選びます。
漁船 meets 屋形船 みたいな「オタモイ号」は、カモメを引き連れながらべた凪の港内を進みます。
カモメの餌は 50円で売られていて、中身はパンの耳です。
餌を貰えると分かっているカモメたちは、北副防波堤の赤灯台をすぎてもずっと付いてきます。

カモメって鳥は、想像しているよりもかなり凶悪な顔立ちをしており、大群で船を追いかけてくる様にはちょっと恐怖感さえ覚えます。


肝心のオタモイ海岸の景色の方は、お盆休みで繰り出した海派の人たちが、フナムシのように大量に岸に張り付いていて、ババチイ景観を作り出していました。
純粋に観光船の旅を楽しみにきた人たちは、さぞがっかりされたことでしょう。
ベストシーズンは、初夏か秋ですね。
それでも沖合に吹く風は地上のそれとは違い、ひんやりと気持ちのいい時間を過ごすことができました。
船は予想通り人もまばらでした。
お盆期間でさえこの程度ですから、普段の日はほとんど貸し切り状態かもしれません。

こんどは海が静かになる秋に来てみたいと思います。
投稿者 hamayo : 21:22 | コメント (2) | トラックバック
2005年8月 1日
ドンドコザブーン
昨日は小樽最大のお祭り、潮祭りの最終日でした。
潮祭りが終わると、北海道の短いみじかい midsummerの数日間がやってきます。
メインイベントは祭りの中日、潮ねりこみです。
三波春夫さんが歌う、「ドンドコザブーンだ、ドンザブーン」の潮音頭に合わせて、花園銀座商店街から 3号埠頭まで練り歩きます。

3号埠頭のメイン会場では、どピンクの提灯が無数に取り付けられ、妖しい光を放っています。

いちおう どの組の踊りが優れているか、なんてものを審査して、順位を決めるそうです。
このあたりは よさこいソーランの悪影響もあるんでしょうね。
出店もたくさん軒を連ねていますが、お面やクジや金魚すくいなどはなくて、ほとんどが食い物や飲み物やです。
神社祭りとはちょっと毛色が違います。

最終日は花火大会です。
北海道は土地が広いので、大きな花火が打ち上げやすいんじゃないかと思うのですが、帯広の十勝毎日新聞の花火大会を除いて、ほかはみんなたいしたことはありません。

数や大きさだけでなく、ストーリー性というか、起承転結というか、メリハリが無いんですよね~。
サービス業が下手くそな北海道を象徴しているかのような花火大会が多いです。
見に行っといてなんですが、ぼくはこういう大きな祭りよりも、町はずれの小さな神社でおこなわれる、ささやかなお祭りの方が好きです。
旅先で晩飯のあと ふらっと散歩に出かけたら、名前も知らない神社の広場に櫓が組んであって、近所の人達が盆踊りをやっているのに遭遇する、なんてのが理想です。
投稿者 hamayo : 21:10 | コメント (1) | トラックバック
2005年7月30日
いきあたりばったり
目覚まし時計とか、USBフラッシュメモリとか、DVD-RAMのブランクメディアとかを買いに、札幌まで行ってきました。
目覚まし時計ってどれもみな似たり寄ったりのデザインで、なかなか気に入ったのが見つからないのです。
この前はヨドバシを探したんだけど見つからなくて、今日はビックを探すことにしました。
ステラプレイスの駐車場に車を停めて、あぁーアロハシャツも欲しいなぁなんて思ってしまったので、なぜか地下鉄に乗って Patagoniaに行ってみました。
アロハといえば パタロハですから。
どうでもいいことだけど、札幌エリアに住んで 15年、初めて地下鉄東豊線に乗車しました。
もうひとつどうでもいいことだけど、札幌の地下鉄はホントは鉄道ではなく、連結型地下バスです。
札幌のPatagonia 直営店は、昔の石蔵の中にあり、なかなかいい雰囲気のお店です。
今年のパタロハは復古調デザインです。
でも聞くところによると、チマタでは今年の夏アロハが流行っているとのこと。
あまのじゃくなぼくは、アロハをやめて ポロシャツを買って帰りました。
真っ昼間からアイリッシュパブに行き、真夏なのにラムシチューなんぞ食べつつ、興味のないチェルシーの練習風景のビデオをだらだらと眺めてたら、買い物はもういいやってな気分になり、けっきょく Patagoniaのポロシャツだけを持って家に帰りました。
こんなことじゃイカンな。
投稿者 hamayo : 22:58 | コメント (5) | トラックバック
2005年7月20日
キャンプだホイ
週末ニセコ方面にキャンプに行ってきました。
3連休とあって、山も海も人だらけ。
「キャンプ場」と名が付く場所も人だらけでした。
キャンプ場に泊まろうとはハナから考えていませんでしたが、本来は登山者のためのテント場であるはずの場所さえも、発電機持参の勘違いキャンパーさんに占拠されている光景を見ると、キャンプっていったいなんだろう?、と疑問を抱きました。
まぁ 山ヤさんはどこでも寝られる人達が多いので、どこかもっと静かな場所で静かな夜をすごしているでしょう。
ニセコ方面でキャンプするとなると、お世話になるのは学生時代からずっと、尻別川とその支流達です
前によく行った河原を当たっていきますが、草木が生い茂っていたり、流路が変わって水没してしまったりと、なかなかいい場所は見つかりません。
けっきょく夕方近くになって、蘭越町の川っぷちにいい場所が見つかったので、眺めのいい場所にテントを張って、炭を熾し、お肉やイカやホタテをじゅうじゅう焼いて、腹一杯食って、暗くなったらすぐに寝ました。

翌朝はテントをたたく雨音で目が覚めました。
テントに当たる雨音というのは、実際の雨量よりもかなり盛大に鳴り響くんだよなー、と思って外に出たら、本当に土砂降りでした。
雨に降られつつ一日中テントの中で読書するのもいいものですが、川っぷちなので流されたら恐いので、さっさと撤収して家に帰りました。
投稿者 hamayo : 21:41 | コメント (5) | トラックバック
2005年5月24日
太陽のカチーナ
先日 盛岡市にある、岩手県立美術館に行ってきました。
博物館には行く予定にしていたのですが、もともと美術館は予定に入れていませんでした。
それなのに急遽美術館へ行くことにしたのは、カチーナ人形を80体も展示していることを知ったからです。
といっても、カチーナ人形などというものを、以前から聞き知っていたわけではありません。
盛岡駅構内にある広告で、ターワカチーナ(太陽のカチーナ)の写真を見てしまったからです。
雷に撃たれたかのような衝撃でした。
ぼくは、そこに行かないわけにはいかない。
どんなことがあったとしても、必ずそこに行くことになるだろう。
そうなることが、あらかじめ決められていたかのような、確信をもったのです。
翌日、本来の予定をすべて終了させたあと、ぼくは美術館にいくローカルバスに乗りました。
人もまばらな特別展示室の中で、ぼくはターワカチーナとの対面を果たしました。
カチーナは、ぼくが来ることをずっと待っていたかのように、満面の笑顔でそこに立っていました。
ぼくが盛岡に来たのは、カチーナに会うためであり、それは何世紀も前の文書で予言されていた出来事のような、既視感をともなう出会いでもありました。
ここでぼくは、ソーヤルカチーナ(冬至のカチーナ)、タラヴァイカチーナ(早朝のカチーナ)とも出合います。
彼らとの出会いは、その後のぼく(いま現在、この文章を書いているぼく、それ以降のぼく)本体を、大きく揺さぶる出会いとなりました。
遠い将来、ホピ族の村を訊ねることになるかもしれません。
あるいは、カチーナを買いあさるようになるかもしれません。
あるいは、カチーナを自分で作るようになるかもしれません。
いずれにしても、微小な、だけど抗うことができない力がぼくに加わり、どこか遠くのほうで、壁の奥に隠された小さなスイッチが切り替わる音を、ぼくは耳にしたのです。


























